ウエツフミによる天孫降臨【現代語訳】

田中勝也氏が公開されている『宗像本』のテキストをもとに、私が現代語に訳したものです。

当方、素人のため誤記や解釈違いがあると思いますので、ぜひ「お問合せ」からご指摘ください。


「神代」については、ほぼ『古事記』『日本書紀』と内容が一致しています。

むしろ先に書かれたウエツフミの底本を参考に、あとから記紀が作られたのではないかと、私は解釈していますが、ここでは「神代」については省略させていただきました。

>>>「上記」の神代を解説しているサイトはこちら

 

また神々の敬称についても省略させていただきます。

 


ニニギ、「ニ上の大宮」から「大分の宮」に遷都

第11綴 第1章 ニニギ、国土完成の勅命を受ける

(高千穂に天孫降臨したニニギだったが、しばらく二上の大宮で過ごしていると・・・・)

 

ここに、イザナギ、イザナミ、天照大神、アメノオシホミミ、タマヨリヒメは、一緒になって、

天津御子であるニニギに、こうお告げになりました。

 

これ豊道之原の中津国(地球の中心にある国という意味、即ち日本国)は、天津諸々の神たちが造り固めました。
しかし、造り終わっていないところもあるので、汝は、国の国々、島の島々の未完の土地を求めて、造り固めなさい!
また、人民たちに便利が良いようにしなさい。
汝は、大須佐田、小須佐田を極めて開いて作りなさい。(※意味不明だが、田んぼのことか?)
また、人草のような人民たちを、撫でるように可愛がりなさい。 」

 

と、イミスキとイミクワを遣わして、言依り(※イタコのように憑依して代言させること)させ賜いました。

 

第11綴 第2章 ニニギ、大分への遷都を臣下の神に命ず

ここに、ニニギに大須佐田と小須佐田(※意味不明)を極めようと、

臣下の神たちに言依り(※前出)させて、

 

「臼杵の平地、大分の平地を開いて水田を固め、
また直入(※現在の竹田市)の荒野、阿蘇の荒野を開いて畑を固め、
ニニギとその妃たち、御子たち、 八百の(※数多い)臣たちとともに、

豊種津物(※豊かな農作物)を作り出して食を安定させよ。
また、その種で、東の端から西の端まで、賄わせるのだ。」

 

と、おっしゃいました。

 

第11綴 第3章 同行者を決め、国内巡行を準備

ここに、ニニギは国巡りをしようと、オモイカネ、コヤネ、フトダマの3人の命たちに、国廻りの道筋を指示しました。
(※オモイカネは岩戸開きにも登場する知恵の神だが、主にフトマニによる占いを担当。アメノコヤネはヤタの鏡を預かる右大臣で中臣氏=藤原氏の祖先。フトダマは剣を預かる左大臣で忌部氏/斉部氏の祖先。)

 

ここに三柱の神たちはともに会議を開いて、 多くの神々も同行させることに決めました。
(以下、同行する神々の名前と役割、その装束など・・・このときに同行した主な神々のリストはこちら

 

第11綴 第4章 ニニギ、高千穂を出発、大御伴はサルタビコとウヅメ

ここに、ニニギは国廻りの装束を着て、「二上の大宮」(ふたのぼりのおおみや※高千穂にあった大宮殿)を出発されるときに、サルタビコとウズメが直前に立って固め、清めながら、お守りしました。
(※この二人は天孫降臨のときにも道案内をしているが、その後どこに行くにも同行している)

 

同行した神々(※省略)と一緒に、笛や太鼓を打ち鳴らしながら大分の国に到着しましたが、その一行の装束があまりにも美しかったので、大分の人々はみんな、畏み喜んで祝詞を歌いながらお迎えしました。

 

第11綴 第5章 大分に入御

ここに、大分郡の、和那麿(わなまろ)という地方の頭国主(※領主)であった小屋田の三郎の頭という人が、御宝山(※みたからやま)に、神事を執り行うお宮を造って、お迎えしました。
 
(※現在の霊山とされている。西隣の障子岳に連なる宇曽岳には「宇曽嶽神社」があり、ここに日向国宇土大明神という別名でウガヤフキアエズの肖像が祀られており、以下に登場する各地名からのアクセスも近いので、私はこの障子岳または宇曽岳こそが、本当の「御宝山」であると考える。)
 
お祝いの善に小豆のおこわの火丹色をしたものを奉げましたが、ニニギは「この場所は人民がよく集まることができる山だなあ。」と、おっしゃいました。
だからこの山を御宝山といいます。(当時は人民のことをオオミタカラと呼んでいたので)
 
また小豆のおこわを召し上がったときに、「小豆の赤が栄えるだろう」とおっしゃったので、そこを荏隈(えのこわ=さかえるおこわの意※現在のエノクマ)といいます。
 
臣下の神たちが到着された所を、廻洲野(くるすぬ※現在の廻栖野‎めぐすの‎)といい、
お伴してきた人の頭たちが集まってきた所を、世利(せり※現在の上芹・下芹)といい、
馬を繋いだ所を、胡麻津留(こまづる※現在の胡麻鶴)といい、
牛を繋いだ所を、塚野(つかぬ※現在の塚野)といい、
しばらくして、大分の人たちが集まってきた所を、市(いち※現在の市)といいます。
大分の宮周辺地図・・・・南北を神社が守っていることに注目。
大分の宮周辺地図・・・・南北を神社が守っていることに注目。

さらに続く・・・・

このあと、山幸彦とトヨタマヒメの間に、ウガヤフキアエズが生まれ、以降少なくとも74代以上続くウガヤフキアエズ王朝がスタートする。
 
(徐々に追加する予定)