奴国の場所は宮崎県

ついに新証拠を発見か!?


先日、『奴国の女王ヒミコが倭国の大王になった!』という記事を発表して、大きな反響をいただきました。

 

そして今回は、この仮説を裏づける、決定的な証拠を発見しました。

 

なんと、それは『ウエツフミ』に書かれていたのです!


卑弥呼昇進説の概要

AD57年に、漢の光武帝に朝見して金印を授かったヒミコ。

その印章に刻まれていた「漢倭奴国王」という文字から、下記の事実が読み解けます。

 

◆当時の大漢帝国は、日本国(倭国)を属国とみなしており、その倭国を構成していた100近い小国家のうち、ヒミコを「奴国」の女王しとして正式に認定した。

◆これを図示すると 漢⇒倭⇒奴 という順番でヒエラルキーが構成されており、

のちに奴国の女王・ヒミコが、合議により選ばれて、倭国の統一国王(大倭王)に就任した。

◆つまり、ワンステップ昇進して、日本国全体を統括する立場となり、ヤマト国(畿内)で即位して統治した。

 

以上が『後漢書東夷伝』の記述から、私が導き出した結論です。

この仮説に、私は「卑弥呼昇進説」と名付けました。

 

⇒詳しくは、前稿をご覧ください。

 


奴国は九州のどこなのか?

この「奴国」が九州にあったことは、ほぼ反論の余地の無い事実なのですが、問題はそれがどこだったのか?

 

以前から私は、奴国=宮崎県説を主張していたのですが、はっきりいってそれは単なる憶測にすぎませんでした。

 

でも今回、私が発見した新証拠により、この憶測が有力説へと変わる可能性が出てきたのです。

 


ウエツフミに書かれた一文字

その新証拠とは?

それは『ウエツフミ』に書かれた、たったの一行、いやいやたったの一文字、下記の記述です。

 

(初代ウガヤフキアエズの亡骸を) 那(ナ)の吾平の山の上に葬りまつる

【訳文】http://amabe.oita.jp/uetufumidata/uetudata.php?tno=18&sno=24

 

とありました。

 

この【ナ】の豊国文字に、【那】の漢字を充てたのは、翻訳者の田中勝也氏の痛恨のミスであり、【奴】の漢字を充てていれば、邪馬台国論争はもっと早めに解決していたことでしょう。

 

なぜそれが宮崎県と断定できるのか、その前後の記述を全て読む必要があります。

長くなるので、その要素だけを下記に抽出します。

 

初代ウガヤフキアエズの命は・・・・

 

【4段目】日向の奇日の高千穂の二上りの大宮で亡くなった。

⇒クシヒ(奇日)の国とは、弥生時代の宮崎県のことで、それを中国人が「奴国」と呼んだのではないか?

⇒ちなみに大分県はトヨヒ、鹿児島県はタケヒ、熊本県はハヤヒ、福岡県はシラヒであり、はっきりと宮崎県と断定できる。これら九州の近隣県を総称して「日向国」と呼んだ。

⇒当時は、現在の高千穂町に「二上りの大宮」(皇居のある場所、つまり首都で、天皇が代わるたびに遷都するのが慣例)が存在していたことが分かる。

 

【8段目】天の眞名井の水を白湯水となして

⇒高千穂渓谷にある天の眞名井の水を沸かして白湯でお清めを行った。

⇒ウエツフミの他の段には「三田井」という地名も登場するので、ここは高千穂町と断定できる。

 

【22段目】那の吾平の山の上に葬りまつる

⇒「吾平山稜」については、鹿児島県説、宮崎県北川町説、宮崎県高千穂町説などがあるが、長くなるので章を改めて詳しく解説する予定。

⇒ただし、高千穂町で亡くなったウガヤフキアエズの命を、鹿児島県まで運んで埋葬するのはいかにも不自然。

⇒奴国にあった吾平山とは、現在の祖母山のことであり、それを裏付ける記述が、同じウエツフミに「ヒコホホデミが、(祖母山を)大分・熊本・宮崎の三か国の国境と定めた」とあり、現在もその伝統が生きている。

 

その初代・ウガヤフキアエズが葬られた場所とは、ここです!

https://maps.app.goo.gl/6ALufacrxDUG8guK8

 


やはり宮崎県だった!

以上のとおり、『ウエツフミ』の記述からも、奴国が宮崎県であったことが断定できます。

 

そして、その奴国の国王は、代々「日嗣の御子(ヒツギノミコ)」と呼ばれており、これがヒミコに省略されたことも、ほぼ間違いないと思います。

 

ただし、『ウエツフミ』によると、この「日嗣の御子(ヒツギノミコ)」は、初代から第74代まで74人存在し、ニニギや山幸彦まで含めると総勢80人近く、約800年間の記録が残っており、このうちの誰のことを「ヒミコ」と呼んだのかは、今後の課題として残ることになります。

 

さらに、『魏志倭人伝』に書かれたヒミコと『後漢書東夷伝』のヒミコは別人であり、2人のあいだには約180年の時間差があることも、前稿で指摘したとおりです。

 

私は以前から、漢に朝貢した最初のヒミコ、そのお墓は宮崎県の西都原古墳にある「女狭穂塚.(めさほづか)」だと予言していますので、今後の新展開に期待しておいてください。