お茶は弥生時代から飲まれていた!

ただし、現在のお茶の葉ではなかった。

栄西が喫茶習慣を広めたというウソ!

お茶の起源について、通説では

「栄西が唐からお茶の木を持ち帰って、

それまでは無かった喫茶習慣を全国に広めた」

とされていますが、

果たして本当にそうでしょうか?

 

『ウエツフミ』から重要な記述が出てきました。


私は以前、小野薬品さんの仕事で「お茶の起源」を調べたことがあります。
その結果は以下の通りでした。

 

◆臨済宗の開祖である栄西は、唐から持ち帰ったお茶を「珍しいもの」として時の将軍・源実朝に献上したが、当時はあくまでも貴重な嗜好品であり、庶民に広まるのは後代のことである。

 

◆栄西は、それまで存在していた日本独自の茶葉のメニューに、中国産のお茶を付け加えただけである。


◆栄西はその著書『喫茶養生記』のなかで、「桑の葉の効用」についても力説しており、お茶の葉だけに固執していた訳ではない。
つまり日本古来の「桑の葉茶」も推奨していた。


◆民間伝承として「昔から日本人は山の木の葉をお茶にして飲んでいた」という言い伝えが各地に存在するが、その決定的な証拠となる文献は見つからなかった。

 

ところが『ウエツフミ』を読んでいるうちに、その決定的な証拠が出てきました。

結論から先にいいますと、


◆ニニギの命の時代に (私の推定では紀元前7世紀の弥生時代初期)、
◆マサカヤマツミの命という人が、ニニギの命の健康と長寿を願って
クワ木、クコ木、ウコギ、サキギ、ホキギ
の5種類の木の葉から作ったお茶を献上した。

と、書かれているのです。


ウエツフミに書かれたお茶の起源

マサカヤマカツ(正鹿山津見)の命は、ニニギの命がさらに長生きして欲しいと願い(当時の天皇は寿命300歳くらいが普通)、クワ木、クコ木、ウコギ、サキギ、ホキギの5種類のお茶を献上します。

 

その瑞々しい若葉を摘んで、釜を(水を入れず)空焚きに焼いて、若葉を焦がし枯らして、ヒキリ臼で細かい粉にし、天の遣り水をカンカンに沸かして柔らかくし、その粉に注いで「木葉粉湯」とし、朝の食事の禮口(いやくち=口を浄化するの意味か?)夜の食事の禮口に、飲み物の代わりと定めて、天皇の御膳の添えものとして献上しました。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=9&sno=19

 

つまり、現在のお茶を作る製造方法、お茶を飲む作法と全く同じなのですが、使われていた葉っぱが違っていたということです。

 

さらに、「禮口(いやくち)」という表現で、お茶に含まれるポリフェノールの抗酸化作用まで知っていたということになります。

 

最も注目なのは、この『ウエツフミ』が書かれたのが1223年、
『喫茶養生記』が書かれたのが1214年と言われていますから、栄西が中国のお茶を広めようとした頃には、既に日本のお茶が存在していたことになります。

 


5種類の葉っぱとは?

それでは、ここに書かれている木の葉を個別にみてみましょう。

 

◆桑の葉茶
これは栄西自身も絶賛しています。
鎌倉時代の密教(山岳信仰)においては、「病気は魔物が体に取り憑くことで発病する」と考えられていましたので、この魔物を退治するには、「桑の木の効用を利用することが一番だ」と力説しています。
カイコがこの木の葉っぱだけを主食にして、あの丈夫な絹糸を作り出すことができるのも、その効用のお陰でしょうか?

 

◆枸杞の葉茶
中国から伝わった漢方では、その実(クコの実)だけが重要視されていますが、実は若葉にこそ効用があることを日本人は知っていました。
その典型例が、徳川家康の側近中の側近であった天海僧正(風水により江戸の町を計画し、日光東照宮を建てた人物)です。
彼は徳川家光からその長寿の秘訣を聞かれると「クコの葉を熱いご飯にかけたクコ飯である」と答えています。(山岡荘八の著作中にあるが彼が何を根拠としたかは不明)
残念ながら昭和35年に全国的に「クコ健康ブーム」が起こり、国産のクコの木はほとんど絶滅したといわれています。

 

◆ウコギ茶
江戸時代に、ウコギの栽培を奨励したのは米沢藩主であった上杉鷹山でした。
当時東北地方を大飢饉が襲い、食糧難に苦慮した鷹山は、『かてもの』という食べられる野草木の栽培を奨励します。
http://www.mindp.co.jp/ukogi/explain/
だから今でも、米沢の町ではウコギを垣根として植えているところが多いと聞きます。
これもクコと同じようにご飯にまぶして食べられたようです。

 

◆サキギ、ホキギ
残念ながら、この2つの植物が何を指すのか?決定的な証拠はありません。
どちらか一方が「ウツギ」であろうことは、ウエツフミの他の記述から推定できましたが、そこまでです。
【参考】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=18&sno=23
それにしても、上記の参考文では、ニニギの時代の教えが、初代・ウガヤフキアエズの命にまで確実に引き継がれていることが分かり、研究家の私としては大満足です。
その他、「山椿の葉」をお茶にして飲んでいたという民間伝承もあります。

 


結 び

さてさて、以上のとおり「喫茶習慣」は、二千年以上続く我が国の伝統文化なのですが、最近テレビや雑誌などのマスメディアで「全て中国からもたらされた」という解説が多いのにはウンザリです。

 

ここまで徹底的に日本人のアイデンティティを消し去ろうとする「洗脳キャンペーン」には、莫大な資金が投下されているハズなのですが、その動機は一体何なのでしょうか?

 

逆に考えれば「日本人が自信を取り戻したら大変なことが起きる」ということになりませんか?

 

少なくとも我々日本人は、自分の心で判断するというささやかな抵抗を続けたいものです。

 


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コメント: 1
  • #1

    日向小次郎 (日曜日, 07 5月 2017 23:42)

    稲作も縄文時代から大陸より先に日本で行なわれていますね。
    何より縄文土器から発見されたジャポニカ米のDNAが日本固有ですし、戦後教育の小細工が知れ渡ってきていますね。
    日本語版wikiも管理人が在日系に乗っ取られていて今やデマペディアを信じる人は少ないでしょう。
    アジアで最も古い民族は縄文人で他のアジア周辺地域には人がいなかったのに先に何かがある訳がありませんね。