別府温泉の起源

2017年2月4日(土)に、NHKの「ブラタモリ」で別府温泉が紹介されました。

 

前編では、別府温泉が「マグマ+地下水+断層」の3つの要素が絶妙に配置された奇跡の調和であることがよく分かり、思わず感動してしまいました。
(後編は2/11 19:30~)
自然が作り出した日本一の造形美である別府温泉。


ところが、『ウエツフミ』によると、
「浜脇温泉を作ったのは、第49代・ウガヤフキアエズの命である」
と、書かれているのです。

 

<ウエツフミの記述>

九州巡幸を終えて、大分(オオキタ)の宮へと帰還する途中の第49代・豊足彦の命は、速見の火鳴り岳(現在の伽藍岳)に立って、その温泉を見て、こう宣告します。

「この温泉を岩石で漉し取って、湯浴みすれば、人民は病を免れるであろう」

 

ただちに、源泉を岩石でろ過する作業が行われ、早朝には浜辺まで温泉が引いてこられました。

だから、ここをアサユミ(現在の「浅見」、朝に湯あみしたの意味か?)といい、
また、海辺の砂浜に浸透して満ちたところを「浜脇」という。
と、書かれています。

 

つまり、浜脇温泉に伽藍岳の源泉を引っ張ってきたのは、第49代・ウガヤフキアエズの命であるというのです。

私の推測では弥生時代中期のこととなります。

 

この記述の真偽を判定するポイントは下記のとおりです。

◆伽藍岳の源泉は高温すぎて、しかも強い酸性なので、そのままでは入浴に適していないことを第49代は知っていた。
◆しかも、地下の岩盤を通すことで、地下水と混じりあってちょうど良い温泉となることも知っていた。
◆だから天然の源泉に、人工的な調整を加えて、人が入れる温泉場を作った。
◆しかも、温泉に入れば体に良いことも認識していたので、あえてこの事業を行った。

 

もし仮に、この記述がでっち上げだとしても、この『ウエツフミ』が書かれたのは1223年ですから、「浜脇温泉」は鎌倉時代にはすでに存在していたことになります。

 

恐るべし、温泉県・大分!