臼杵の海と天皇家の出産との深い関係

ある日、友人から「臼杵市に皇産霊神社という神社があるので調べてみては?」という電話がありました。

友人は、お神楽保存会のメンバーであり、毎年この神社にお神楽を奉納しているというのです。

 

それにしても、皇産霊神社は「ミムスビ神社」と読み、字面から解釈すると「天皇が生まれる場所を守る神社」とも解釈できるので、さっそく調べてみることにしました。

もしかしたら、こここそが歴代天皇の産屋が置かれた場所なのかもしれません。

 

この記事は、前回の記事『豊玉姫がウガヤフキアエズを出産した無垢島!』の続編となりますので、まだ読んでいない方は、こちらから予習しておいてください。

 

歴代天皇の産屋は臼杵市周辺の海岸に置かれた

『ウエツフミ』によると、このあたりの海岸(大分の佐賀の関と臼杵を結ぶ海岸線)は、ウガヤフキアエズ王朝の歴代天皇が【産湯】を汲み上げた場所であり、天皇の【産屋】は必ずこのあたりに置かれました。

 

なぜ、この場所でなければならなかったのでしょうか?

 

確かにこの辺りは、豊玉姫が初代・ウガヤフキアエズの命を出産した場所とされる【無垢島】の、湾を隔ててちょうど対岸にあたります。

⇒以前の記事は、こちら

 

『ウエツフミ』を詳細に読むと、歴代74人の天皇のうち、過去に2度にわたって悲劇があったことが記されています。

 

◆最初は、第5代・ウガヤフキアエズの命(幼名をアメツチアカリナスアカタマという)の御代のこと・・・・

 

臼杵のサカリの浜(場所不明)に産屋を建てて、皇后がここに籠りますが、出産予定日を8ケ月と10日を過ぎても生まれてこなかったので、フトマニで占ってみると、次のご託宣を授かります。

「この産屋はふさわしくない。故に我(神)がその場所を教えよう。私が以前愛用していた【天之磐鉾】を海中に落として立てるので、それを目印に、そこで産ませよ!」

そこでさっそく家臣に探させると「速吸の水門(みと)の海中」にそれが立っていましたので、その「速吸門の小浜」に産屋を建てると、すぐに皇后が産気づいて出産がかないました。

⇒【原文】は、こちら

 

つまり、豊後水道のどこかにある水門(ミトは陸と陸がくっついて戸びらのように迫った場所、つまり湾内のこと)の海中に、【天之磐鉾(あめのいわほこ)】つまりホコの形をした岩が立っていたということです。

その場所は、あとで分かってきますので、覚えておいてください。

 

◆2度目は、第15代・ウガヤフキアエズの命(幼名をウスキネヒコという)の御代のこと・・・・

第15代は、宮崎県の三宅(みやき)の小浜(私の推定では現在の西都原古墳のある場所)を本拠地としていたのですが、どうしてもお世継ぎが生まれません。

そこで、『フトマニ』により占ってみると「そところ、さに、ふさわず」というお告げを授かります。

つまり「その場所は、出産には、ふさわしく無い」という意味です。

そこで次に、臼杵の大の浜と大分の黒の浜を占ってみると、どちらも吉と出ます。

さっそく臼杵の大の浜(現在の臼杵市大字大浜)に産屋を建てると、すぐにお世継ぎの御子が生まれました。

⇒詳しくは、こちら

 

この2つの出来事を教訓として、歴代天皇の産屋は、必ず臼杵の海岸周辺に置かれるようになったのです。

 

さらに、天皇が危篤になったときには「いよぶせのまじ(息呼施の呪)」という、今でいうところの蘇生術が行われたのですが、このときにも臼杵の海岸から汲んだ海水が使われました。

⇒詳しくは、こちら

 

つまり、歴代天皇の御霊は、臼杵の海岸からやってきて、臼杵の海岸に帰って行ったということになります。

なぜ、この場所でなければならないのでしょうか?

 

その考えられる理由をいくつか挙げてみます。

 


(1)天皇家は海神を母系に持つ

『ウエツフミ』の記述の中で、私が注目したい一文があります。

それは、神武天皇ことヒダカサヌが奈良のナガスネヒコとの戦いになったとき、兄の稲飯(イナイ)の命が新羅軍との海戦で命を落としているのですが、このお方が最後に残した下記のセリフです。

「我の遠い祖先は天津神、その奥方(妹)は海津神の御子・・・・」

⇒原文は、こちら

 

つまり、天皇家とは、少なくともウガヤフキアエズ王朝の時代には、

父方は天津神である天照大神⇒ニニギの命⇒ヒコホホデミ(山幸彦)の家系

母方は海津神である月読命⇒オオワタツミ⇒豊玉姫の家系

であったということです。

 

すなわち、天体を司る神々と、海洋を司る神々の合体により天皇家が誕生したということになります。

 

さらに出産は母親の単独作業であり、このときだけは海の神様が大きな役割を担うことになるのです。

⇒ちなみに柳田国男も『妹の力』という名著を残しています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%B9%E3%81%AE%E5%8A%9B

 

海の神様が住んでいる場所、それは海津宮(わたつみや)と呼ばれたり、竜宮城と呼ばれたりしますが、それがあった場所こそが、臼杵の海岸の沖合なのではないでしょうか?

 

さらにこの場所とは、2億1500万年前に、直径8kmの巨大隕石が落下した地点であることも分かってきました。

⇒詳しくは、こちら

(2)弥生人は穢れた場所を嫌う

さらにもうひとつ付け加えるとすれば・・・・

 

説明するまでも無いと思いますが、弥生人たちが一番嫌っていたのは【穢れ】でした。

ましてや、人生の最大イベントである誕生と臨終の場では、穢れが徹底的に排除された、純粋で清らかな【水】が必要でした。

それが得られたのが、この海域だったのです。

 

うまく説明できませんが、隕石が落下したことと、関アジ・関サバのように生物が巨大化する現象とは、何か関係があるのだと思います。

つまり、海水が通常ではないということであり、この海域の水は「特別なパワー」を秘めているということです。

 

隕石のなかには地球では得難い希少な元素が含まれています。

例えば、オスミウム同位体(Os)が大量に臼杵や津久見の海水に含まれていることも報告されています。

⇒【参考論文】http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor//geology-day/2014/sato_abst.pdf

 

さらに、津久見周辺から産出する良質の「石灰岩」は、隕石の落下により海水が瞬時に沸騰して、大量のプランクトンや海洋生物がまるで“瞬間釜茹で状態”になって、その死骸が海底に堆積したものなのです。

 

そういえば、もうひとつ『ウエツフミ』には興味深い記述があります。

それは、「無垢島には国の御柱石がある」という記述です。

⇒【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=19&sno=3

 

この「国の御石柱」に何の意味があって、どうしてここ「無垢島」に立っているのか?何も書かれていませんが、どうやらウガヤフキアエズ王朝にとって、この場所は大切な聖地だったようなのです。

 

私の推測では、これこそが、隕石の本体が埋まっている場所、つまり落下地点であり、このあたりの海域には、現在でも宇宙由来の希少元素が海水に溶け出している確率が高いということです。

  

この場所こそ、さきに紹介した【天之磐鉾(あめのいわほこ)】のことなのではないでしょうか?

 

さらにそれは、仏教が説くところの「須弥山(しゅみせん)」と同じなのかもしれません。

⇒過去の記事は、こちら

⇒それは伊勢神宮の真下にあるとする説もあるが、「無垢島」という可能性も否定できない。

 

だとすれば、臼杵が日本への仏教導入のメッカとなったことにも納得がゆきます。

 


(3)臼杵の地名はおめでたい名前

ある霊感の強い方がおっしやってましたが、【ウスキ】は言霊(ことだま)的には、大変調和のとれた良い名前だそうです。

 

そういえば、ある日ふと気づいたのですが、臼はウスのことであり、杵はキネのことですよねえ。

一般には、お餅をつくときの道具だと思われていますが、もっともっと深い意味があったのです。

 

例えば、【臼】を女性に例えて、【杵】を男性に例えてみてはどうでしょうか?

それは、男女和合の象徴となり、まさに出産や子育てをするには最適な場所ということになります。

 

それは、中国の陰陽道が説くところの【陽】と【陰】のことです。

 

ここまで言ってしまうと「日ユ同祖論」の人たちも大喜びしそうですが、ユダヤの象徴とされる六芒星とも全く同じ考え方になります。

つまり、こちらは▲が男性で、▼が女性で、それが上下から合体すると六角形の星印になります。

⇒【参考】https://kaiun.sseikatsu.net/hexagram/

 

さきほども説明したように、天皇家とは天津神と海津神のハイブリッドだったとしたら、出産はここでなければならなかった理由が明確になってきます。

 

男系の男性天皇だけが引き継ぐ優秀なDNAは、精子というカプセルに乗って遊泳を続け、やがて女性の卵子に着陸すると、ここを培養池として細胞分裂を始め、生命体としての人間になるための増殖過程に入ります。

 

このプロセスで、体(精)という物理的な細胞体が形成されるのですが、これは魂(心、御霊)とは別問題です。

特に、神様に近いパフォーマンスを要求される天皇にとっては、どんな魂が入って来るかは最も大切な問題です。

 

現代では、天皇は即位する前に「践祚(せんそ)の儀」という神様になるための特別な儀式を執り行いますが、ウガヤフキアエズ王朝ではどうやらこれが出産のときから行われていた可能性が高いのです。

践祚については、wikipediaにもほとんど書かれていないが、天皇家にとっては「大嘗祭」以上に重要な秘儀であることは、徳島の三木家(この儀式に使われる麻を栽培する家系)にも伝わる。

 

ちょっと説明がSF的になってきますが、別の言葉でいうと、

DNAという設計図から創られた人体という乗り物を提供しているのが天津神

それを操縦するパイロットとしての魂を提供しているのが海津神

といえば、理解していただけるでしょうか?

 

つまり、天皇の誕生とは、天津神と海津神との共同作業でなければならず、この2つの神様が出会う場所が臼杵であり、それが【臼】と【杵】という暗号で象徴されているということです。

⇒ちなみに、ニニギ~山幸彦の時代には、母系はオオヤマツミ一族(山の神)であり、ウガヤアキアエズ王朝から、母系はオオワタツミ一族(海の神)に変わる。

 


臼杵の海に点在する天皇家の出産地を裏付ける証拠

これらの観点から、もう一度、臼杵と津久見の周辺海域を見直してみることとします。

すると、このあたりには重要な聖地が計画的に配置されていることが分かってきました。

 

(1)皇産霊神社は天皇家の出産場所か?

まず最初に訪問したのが、臼杵市佐志生地区にある「皇産霊(みむすび)神社」です。

 

そのご祀神はタカミムスビとされていますが、どうやらそうではなく、皇室の「むすひ」そのものを司る神社であると解釈できます。

⇒「むすひ」とは?https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%99%E3%81%B2

 

なぜなら、弥生時代の人たちにとって文字は魂そのものであり、【高】が付くか付かないかの違いだけでも、全く意味が違ってくるからです。

つまり、ご祀神がタカミムスビならば、神社名は「高皇産霊神社」でなければなりません。

 

この神社の高台に登って、その社殿の向いている方角を確かめてみると、真正面の海中に浮かぶ「黒島」を指しています。

つまり、ここは黒島を拝むための「遥拝所」だったということです。

 

黒島は、現在はキャンプ場になっており、大分市内の人ならば一度は訪れたことのある有名な海水浴場ですが、弥生時代には、身重となった皇族方がここでご静養しながら臨月を迎えるための、まさに【産屋】だったのでしょう。

 

それは、あまり沖合では何かと不便であり、あまり内陸だと「聖なる海水」を採取できなくなります。

つまり妊婦が籠るにはちょうどよい距離にある島、それが黒島だったのです。

⇒【参考】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B3%B6_(%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%E8%87%BC%E6%9D%B5%E5%B8%82)

 


(2)豊玉姫が出産した「沖無垢島」

そして、「皇産霊神社」「黒島」を結ぶ直線の先にあるのが「沖無垢島」

この三ヶ所は、まさに一直線に並んでいます。

妊婦たちは、黒島から豊玉姫の出産場所である「沖無垢島」を毎日拝みながら、それにあやかろうとしたに違いありません。

⇒以前の記事は、こちら

 


(3)豊玉姫が産湯を使った丹生島

私も意外だったのですが、臼杵城のある場所はかつては「丹生嶋」と呼ばれる島でした。

『ウエツフミ』には、カグツチからのご神託で、赤子を温泉のお湯で洗った場所を「ニユと呼ぶ」とありますが、それが現在の臼杵城だったのです。

大分市の丹生地区のことかと勘違いしていました。

 

また近くには「産島」という小島もあり、この島の洞窟からはお乳のよく出るようになる不思議な石【お乳石】が産出していたという記録があります。

(残念ながら場所を特定できず)

⇒【参考】https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014013100433/

 

さらに、この臼杵城址の石垣には「豊国文字」が彫られていたという伝説があり、私も探しているのですが、まだそれらしいものは特定できていません。

⇒【参考】https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014013100495/

 

話はそれますが、この臼杵城の構内には、田道間守が蓬莱から持ち帰ったとされる不老不死の妙薬「ヒヒカカ」という柑橘系の植物の原木があります。

先日、私の友人が「探したけど見つからなかった」と言っており、もしかしたらもう枯れてしまったのかもしれません。(10年ほど前に、私は間違いなくこの目で目撃しました)

 


(4)豊玉姫を祀る「津久見島」

臼杵の湾内には、もうひとつ重要な島があります。

それが「津久見島」なのですが、それは臼杵の住民にとっては「毎日見慣れたお馴染みの島」であり、それにどんな意味があるのか?気づいている人は少ないと思います。

 

地元では「おにぎり島」と呼ばれているそうで、まさに「オニギリ」そっくりのその異様な姿(キレイな円錐柱)は、どうみても人工のピラミッドを連想させます。

私は行ったことが無いのですが「宗像大社の沖ノ島にそっくりだ!」と、同行した佐藤君が言ってました。

海のピラミッドはあまり研究が進んでいないようなので、友人の横山航宜さんがまたレポートして動画にしてくれるかもしれません。(猿田彦TVの主催者) 

 

この「津久見島」と豊玉姫の関係なのですが、ちょっと調べてみると、やっぱり出て来ました。

『臼杵小鑑』という古文書にある下記の記述です。

「古名を竹島といい、寛永元年稲葉一通公(三代藩主)島の頂に竹生島の神を勧請し、津久見島を改めて竹生島とす」

⇒【出典】https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014020500875/

 

つまり、この島は江戸時代には【竹生島(ちくぶじま)】と呼ばれていたというのです。

稲葉のお殿様だけは、この島のもつ意味をよく分かっていたようです。

しかも、稲葉一通公の血筋は現在の皇室にもつながっているという興味深い記述もあります。

⇒【稲葉一通】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89%E4%B8%80%E9%80%9A

 

竹生島は琵琶湖の中に浮かぶ島であり、ここには弁才天と名前を変えられた【豊玉姫】と、その乗り物である「ウガツチ」が【宇賀神】と名前を変えられて祀られているのです。

⇒現在の「都久夫須麻神社」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%B9%85%E5%A4%AB%E9%A0%88%E9%BA%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

なぜ、稲葉一通公は、わざわざここから豊玉姫を勧請して、それを頂きに祀って、島の名前を竹生島と改めさせたのでしょうか?

 

その答えは、『ウエツフミ』にありました。

かいつまんで要約すると、「ワタツミの宮から豊玉姫を乗せてきた海竜であるウガツチは、合計6頭(3つがい)いたが、それぞれ下記の三ヶ所に祀られた」とあるのです。

(1)大分県の祖母山

(2)琵琶湖の竹生島

(3)チヂの国の白河の山のウガチ野

このことは、以前にも書いてますので、こちらから。

https://ugaya.jimdo.com/2017/03/31/%E7%A5%96%E6%AF%8D%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E3%81%A8%E3%81%AF/

 

つまり、私の大胆な解釈はこうです。

◆豊玉姫が乗ってきたウガツチとは隕石のことである。

ウガツチとは、「ウカの土」であり、「宇宙の土」を意味する。

◆その隕石は、3つに分裂して、それぞれ日本の三ヶ所に落下した。

それが、祖母山(または臼杵の海)、琵琶湖、チヂの国の白河の山のウガチ野である。

◆この隕石により運ばれてきた物質から、弥生人のDNAが誕生した。

◆だから、そのことを記念して、三ヶ所に神社が建てられた。

 

つまり、稲葉一通公の解釈では「(1)の隕石の落下地点は祖母山ではなく臼杵湾である」ということなのではないでしょうか?

 

もし私の解釈が正しいとすれば、福島県か茨城県のどこかに三番目の隕石が落下して、そこにも豊玉姫が祀られているはずです。

⇒以前私は「チヂの国」を福島県と解釈したが、「ヨチヂの国」である茨城県のことかもしれない。

 

もしかしたら、これが「鹿島神宮」のことではないかと思うのですが、証拠が見つかりません。

 

なぜ私がそのように考えるようになったのかというと、直径8kmの巨大隕石に関する情報を調べているうちに、その痕跡が「津久見市江之浦の網代島と岐阜県坂祝町の木曽川沿いの2カ所から見つかった」という記録です。

この2カ所の関係がどこを探しても書かれていないのですが、私はこれを「同じ隕石が2つに分裂して落下した」と解釈しました。

だとすれば、岐阜県坂祝町は琵琶湖の近くであり、もうひとつの落下地点が茨城県か福島県のどこかにあるはずです。

 

さらに、現在では「津久見島」という漢字が充てられていますが、本来は「搗(つ)く海(み)島」だったかもしれません。

つまり、【杵】である隕石が、【臼】である海を搗いて、そこから何かが生まれたので、これを「むすひ」というのではないでしょうか?

だから、「皇産霊(みむすび)神社」。

 

 

(5)津久見島を拝むための遥拝所

この「津久見島」が豊玉姫を祀る神社ならば、その対岸には必ず「遥拝所」があるはずなので、私はそれを探しました。

どうやら、それが臼杵市柿ノ浦地区にある「天満社」のようなのです。

このあたりに「天満社」がやたらと多いのは、明治政府の指導により、その設置が義務付けられたからであり、以前は別の神社であったということです。

 

「ここしか無い!」と目星を付けて、柿ノ浦地区にある「天満社」の裏山にあたる小山に登ってみたのですが、やっぱり出て来ました。

とんでもない急こう配の山で、同行した佐藤君ともはぐれて危うく遭難するところでした。

 

その山頂には、磐座らしい小岩があり、その場所からこの「津久見島」を見下ろせるようになっています。

しかも、岩の頂上が2つに裂けて、まるでスリットルのような亀裂が入っています。

この場所から、「津久見島」を通して、北極星を観察していたのかもしれません。

結びにかえて

さてさて、私が今回確認できたのは、ここまで。

でも臼杵から津久見につながる海岸線には、まだまだ神秘的なものが眠っている可能性があります。

 

天皇家の出産を支えた不思議な海、それは私たち日本人のルーツと呼べるのかもしれません。

 

今こそ、私は自信をもっておススメします。

現在の皇室に浮上した皇位継承問題は、ここ臼杵の浜に「臼杵離宮」でも建ててご静養すれば、解決する可能性が高くなるのではないでしょうか?