『宮下文書』による天照大神の治世

前回は、イザナギ・イザナミの治世について書きましたが、今回はいよいよ天照大神の時代を概観します。


⇒前回記事【『宮下文書』によるイザナギの治世】は、こちら

 

またまた驚くことばかりですが、特に下記の諸点が古事記・日本書紀と大きく違っています。


天照大神に関する記紀と宮下文書の違い

【1】天照大神の弟・ヒルコは、別名「エビス」という龍王神であり、その宮殿を「竜宮城」と呼ぶ。
つまり、オオワダツミ(海の神)とはヒルコのことであり、ここから豊玉姫や玉依姫などの海神が誕生した。

 

【2】月讀命は、皇位を姉の天照に譲り、自分はカシマの里・白玉池畔(現在の鹿島神宮?)に祀られた。
その子供がオオヤマツミ(山の神)であり、別名を白玉彦、または寒川彦(寒川神社?)と呼ぶ。

 

【3】スサノオはもともと兄弟ではなく、反乱を起こして高天原を侵略した「多加王」である。(多加王とはタカミムスビの孫)
天照大神は天の岩戸に籠って隠れ、大己貴命(大国主)とタヂカラオが反乱軍を迎え撃って、スサノオを説得した。
後日、天照大神とスサノオは姉弟の契りを結んで和解したので、これを「ウケヒ」(日本初の契約)と呼ぶ。
スサノオを追放した場所を「出雲国」と呼ぶ。(富士山の悪雲が流れる方向なので出雲)
大国主とタヂカラオ(のちにテナヅチと呼ばれる)がスサノオに付き添って出雲国に赴任した。

 

【4】天照大神は、大己貴命(大国主)に小槌と袋を持たせ農民に職業を教えさせたので、これを「大黒様」と呼ぶ。
また、ヒルコに釣竿と袋を持たせ漁民に職業を教えさせたので、これを「恵比寿様」と呼ぶ。

 

【5】猿田彦は、もともとは「農佐彦」と呼ばれ、全国に道路を整備したので「道祖神」と呼ばれた。

 

【6】三種の神器は、寶司の玉(御霊)、室雲(ムロクモ)の剣(出雲から出たので)、八角花形の鏡(内侍所の御鏡)であった。
なお、スサノオは日輪に八本の宝剣を重ねた「八太羽(八咫刃?=ヤタハ)の鏡」と、月輪に蓬莱山を重ねた「寶司の御霊」を御印としたとあるが、前者との関係はあいまい。

 

【7】天皇家の家紋を、天御中主から伝わる「太陽と16筋の光明」(菊花のご紋章?)と定め、神后の家紋を「月輪に五三の雲」(五三の桐ではない?)と定めた。
つまり、月讀命が(男性ながら)皇后的な立場であったことが分かる。

 

【8】天照大神の本拠地は「瑞穂の国」とあるだけで、場所を特定できないが、その他の神々に関する記述から、関東付近もあり得る。ただし、スサノオから逃れて籠った場所が、宮崎県の高千穂地方という可能性も考えられる。

 

以上、いずれも日本神話の根幹を揺るがす衝撃的な事実ばかりですが、なぜかスイスイと心に入ってゆき、DNAが喜んでいるのは私だけでしょうか?
まるで、神話の原型を見ているような、不思議に説得力のある記述です。

 

つまり、紀元前3世紀に渡来しているハズの徐福は(史実なら秦の始皇帝と同時代人)、それまで日本に伝わっていた神話を、そのまま正確に記録しているのです。

 

でもこれらの神々のご由緒が、みごとに抹消されているのはなぜでしょうか?

 


残る問題点

ところが、このあとがいけません。
ニニギの命の時代になると、急に軍事政権の色彩が濃くなり、「筑紫に渡来した大陸人を成敗するために高天原から出兵した」となっており、その居所を「大本営」、その司令官を「大将軍こと大物主」と呼んでいます。

 

逆に、滅ぼされた九州王朝側を「侵略者」として描いているため、ここからは「主人公と悪役を逆転しながら」読む必要があります。

 

つまり、このあたりから自分たち渡来人の歴史をブッ込んできている訳です。
失われたユダヤ族⇒秦氏⇒徐福⇒大物主⇒崇神天皇⇒景行天皇という流れを連想させます。
実に巧妙な「背乗り手法」ですよね。

 

つまり、滅ぼした側(渡来人)が自分たちの祖先こそウガヤフキアエズ王朝であるとした『宮下文書』、逆に滅ぼされた九州王朝が自分たちの祖先を書き残した『ウエツフミ』、両方を併せて読むことで、より正確な古代史が分かってきます。

 

いよいよ、封印された古代史の真相に触れることとなりますが、長くなりますのでまたあらためてレポートします。

 

<出典> 美輪義熈著『神皇記』
<原典> 国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965674