中国の「陰陽五行」は日本の「四元」がルーツ

しかも間違って伝わっている!

 

『ウエツフミ』には、人体と健康を司る4つの【気=ケ】に関する記述があります。


これは日本流の『四元論』であり、中国の『五行論』のルーツとなっている可能性があります。


まず、そこに何が書かれているのか見てみましょう。


第2代・ウガヤフキアエズの命が教える人体の四元論

『ウエツフミ』宗像本第19綴第6章より
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=19&sno=16

 

----筆者による現代語訳----

 

人の身体には四つの柱がある。

それは【息気=イケ】【火気=ホケ】【水気=ミケ】【土気=ツケ】であり、
この【四つの気=ヨケ】が凝り固まったものを「人の御魂」という。

 

【息気=イケ】とは、夜昼となく体内を巡って、
言葉を形成し、
鼻と口から天地の気を出入りさせる。

 

【火気=ホケ】とは、夜昼となく体内を巡って、
温かみを形成し、
エネルギーを蓄えて保存する。

 

【水気=ミケ】とは、夜昼となく体内を巡って、
血液を形成し、
身体中の動くものから、魔除けを行う。

 

【土気=ツケ】とは、夜昼となく体内を巡って、
筋肉を形成し、
身体中の動かないものから、魔除けを行う。

 

これらは天の神々が動かしており、(神が)その中に存在するので、そのカタチが無くても、常に働いて効用をもたらすのである。

 

だから、この【四気=ヨケ】に配慮しながら投薬すれば、生命を長生きさせることができる。
                    
故に、筋肉の「脈拍」を、診察して把握せよ。
頭の耳の近くにある脈拍は、【火気=ホケ】の状態を
手首のあたりにある脈拍は、【息気=イケ】の状態を
胸の乳の下にある脈拍は、【水気=ミケ】の状態を
足首にある脈拍は、【土気=ツケ】の状態を
それぞれ表している。

 


中国の「五行論」と日本の「四元論」

この記述、まるで中国の『陰陽五行思想』と、そこから派生した『経絡治療』『鍼灸治療』の考え方にそっくりではありませんか。


5~6世紀に、仏教などとともに日本に伝わったとされる『陰陽五行思想』が、7~8百年後の鎌倉時代になってから突然、日本独自の『四元論』に進化した?
どう考えても、そうとは捉えにくいのです。


つまり、天照大神が『ホツマツタエ』などでも説いている『四元論』が、中国に渡り『五行論』に変化して、再び逆輸入されたと考えるほうが自然なのです。

 

参考 : <ホツマツタエの四元論>
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya13.html
※ただし、ここでも訳者が無理に「五行」に近づけようとしたためか、不自然な翻訳がみられる。

 

※右の図は、ホツマツタエによる「フトマニの図」だが、どうみても8原論が基本となっており、「五行の思想」とは矛盾する。


どこが違うのか?

それでは、中国の「五行論」と日本の「四元論」では、どこが違っているのか?
もっと具体的にみてみましょう。

 

(1)構成要素の違い
中国の「五行論」では、【木】、【火】、【土】、【金】、【水】の5つを構成要素と考えます。

 

これに対して、日本の「四元論」では、上記のとおり、【息(風)】、【火】、【土】、【水】の4つが構成要素です。

 

つまり、【金】(ごん)という要素は日本には存在しません。
【金】は中心点だと考えられていたので、要素にはカウントされませんでした。
だから、方位においても東西南北の4方向しか存在せず、中心は要素ではないのです。

 

すなはち、日本では 4つの要素×陰陽2つの状態=8つの結果 となり、この8元から「ヤタノ鏡」や「八幡信仰」や「八角堂」など、8という数字が重用されはじめ、さらに「フトマニ占い」における128通りの回答集へとつながってゆきます。
つまり、4進法がすべての基本だったのです。
いうなれば、『陰陽四行思想』と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。

 

ちなみに、中国の陰陽五行においても、陽は【乾=けん】陰は【坤=こん】とされており、この【坤】(こん)と【金】(ごん)が混同されて(中国語で発音するとほぼ同じ)、「陰陽」と「五行」の両方にダブルカウントされているのではないか?----つまり「陰陽」の【坤】(こん)が、「五行」の【金】(ごん)になったのでは?----という疑惑さえ湧いてきます。

 

さらに話はそれますが、中国の『易教』においても、基本となるのは64通りの回答集です。
つまり、易の世界では、8つの要素×8つの要素=64の占い結果 を基本としており、これを「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と占い師が唱えているのは有名です。
つまり易の世界でも、4進法が基本だったのであり、『五行の思想』とは矛盾したまま、いまだに解決されていません。

 

(2)木と風の違い
さらに、中国の【木】は、日本では【息=風】であるとされています。


つまり、もともと日本の古語で【キ】と発音されていたものを、中国人は【木】と解釈し、日本人は【気(キ)】または【息(イキ)】と解釈したと考えられます。

特に、豊国文字では【キ】の発音に対して、木の形の象形文字を使うので、文字だけを見た中国人が勘違いしたとしても無理はありません。

 

この4番目の要素が【息(イキ)】であるという証拠は、四方神に対する考え方となって明確に表れてきます。
つまり、日本の四方位とそれを守る神様の配置をみると、(日本の気候は必ず西から変化するので)、西の方位には風を司るシナズヒコが配置されているのです。

 

<日本の四方神>
北・・・・火を司るカグツチ
東・・・・土を司るハニヤスヒコ
南・・・・水を司るミズハノメ
西・・・・風を司るシナズヒコ

 

<中国の四方神>
北・・・・水を司る玄武
東・・・・木を司る青龍
南・・・・火を司る朱雀
西・・・・金を司る白虎
※土が余ってしまったので中心に据えたが、そもそも中心という概念は五行にはふさわしくない。つまり【土】だけが、他の4つの要素と異なる上位的な位置づけとなり矛盾する。

 


鍼灸の世界における大論争

さてさて、この『陰陽五行思想』がルーツとなっているハズの『鍼灸治療』ですが、西洋近代医学が発達してくるにつれて、五行の思想がふさわしくない、つまり事実と矛盾していることが解明され始め、「あくまでも五行とは概念的なものであり実態を反映していない」などと、苦しい言い訳がされるようになりました。

 

そこで明治以降に登場したのが、『経絡治療』と呼ばれる、基礎理論を再び見直そうとする一派なのですが、それでも古典と近代との間の溝を完全に埋めるまでには至っていません。

 

私論ですが、中国の『五行論』ではなく、日本の『四元論』をベースにしたならば、この溝を一気に埋めることができるかもしれません。
ここは、専門家の方の今後の研究に期待したいところです。

 


四元論の数学的・物理学的な把握

さてさて、それでは日本の『四元論』を数学的・物理学的に捉えると、下記のような理解も可能となってきます。
これはあくまでも私の独自解釈なので、参考にしないでください。

 

◆宇宙の根源は陰と陽の2つのエネルギーである。
これは、物理学の世界での最先端理論である「超ひも理論」と一致してきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6%E7%90%86%E8%AB%96
つまり、宇宙を構成する最小の素粒子は「一本の紐」または「一次元の座標軸」だと考えてください。
そして、その一方の端にあたるのが【陽】であり、もう一方の端にあたるのが【陰】なのです。

 

◆「4元論」とは、ひも理論の4次元的な展開である。
一次元の世界では「一本の紐」でしたが、これを二次元の世界から見ると「東西南北」の4つの方向に見えてきます。さらに、三次元の世界では、「8つの要素」になってきます。

 

つまり、二次元の世界では、陰と陽の両極端のエネルギーが、x軸とy軸の2つの座標軸上に展開しているので、物質を捉えるときには、4つのゾーン(例えば東西南北)で把握してゆきます。

 

さらに、三次元の世界では、陰と陽の両極端のエネルギーが、x軸、y軸、z軸の3つの座標軸上で展開しているので、物質を捉えるときには、8つのゾーンで把握してゆきます。

 

つまり、ホツマツタエの「フトマニ図」とは、森羅万象の四次元的な把握方法を、二次元上の図面に落とし込んで展開したものであるという結論になります。

だから、16の要素まで書かれているのです。

 

どうですか、理解できましたか?
ただひとつ確実に言えることは、そこには「5」という概念は存在しないということです。

 


結び

最後に、この素晴らしい医学理論を日本中に広めようとして、かつて全国を巡幸された天皇が居ました。
そして、奈良の地にとどまり、そこから西日本を支配しました。
(東日本は弟の第3代が統治した)

 

それが、第2代ウガヤフキアエズの命であると伝えるだけで、なぜか『ウエツフミ』にさえも、「幼名」が書かれていません。
全部で74人も居る歴代天皇のなかで、この方だけには、幼名が無いのです!

 

そして一方で、幼名を2つも持っている天皇がいます。
それが、第73代ウガヤフキアエズの命であり、「ヒダカサヌ」という幼名と「カムヤマトイワレヒコ」という2つ幼名が記されています。

 

もうお分かりですよねえ。
第2代こそが「カムヤマトイワレヒコ」であり、第73代の「ヒダカサヌ」と同一人物とみなされることによって、歴史から抹消された。

 

そう考えたいのは、私だけでしょうか?