ヒエログリフと豊国文字がそっくりな件

左はヒエログリフ、右は豊国文字
左はヒエログリフ、右は豊国文字

このことを最初に指摘したのは徳政金吾氏であり、その著書『古代埃及と日本』のなかで「日本人エジプト起源説」を展開しています。
つまり「日ユ同祖論」ではなく、「日エ同祖論」だというのです。

 

そして、この説を支持しているのが、ウエツフミ研究の第一人者・吾郷清彦先生です。
その著書「古史精伝ウエツフミ 付録」のなかで、「サ・チ・ト・ヒ・yi・ヨ・ラ・ロ」の文字がそっくりであると指摘しています。(右図参照)

ご存知のようにアラブ人とユダヤ人とは“犬猿の仲”で、宗教も言語も異なる異民族であり、かれこれ2000年以上も宿命の対決が続いています。
この2つを混同することから古代史の大混乱が始まったのです。

というよりは、ユダヤ人が意図的に混乱させている可能性もあります。

 

この説に感銘を受けてか? 「ツタンカーメンはアメワカヒコである」とする説まで登場しました。

アメワカヒコは、ニニギより前に日本国を統治しようとして失敗しています。
http://21seikinokadai.blog15.fc2.com/blog-entry-50.html?sp

 


そういえば、聖徳太子は
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや云々」
という書簡を遣隋使に持たせました。

 

このとき聖徳太子は、唐土のことを「半西」と書いて「もろこし」と読ませ、ペルシャのことを「西極」と書いて「とおつくに」と読ませているのです。『神代皇代大成教序』より

 

つまり、中国とは西の極みであるエジプトに至る道の半ばであるということです。
もうお分かりですよねえ、聖徳太子が本当に書簡を渡したかった相手とはエジプトであり、ここを「日の没する国」と呼んでいたのです。

 

聖徳太子が目論んでいたのは、同祖国と交易するための「遣エジプト使」であり、このことを中国人に察知されて潰されたのだというのが真相のようです。

正倉院の宝物殿にペルシャ産のガラス・コップなどが収納されているのは、日本とペルシャが交易していたことの証しです。

 


さらに、古代エジプトの創生神話にも「ヘリオポリス」と「ヘルモポリス」という2つの都市が存在していました。
◆ヘリオポリス・・・・「太陽の町」と呼ばれ、太陽神ラー=天照大神が支配する国。有名なオシリス/イシスもここから生まれた。つまり「日出づる国」=日本のことか?
◆ヘルモポリス・・・・「大地のはらわた」と呼ばれたマイナス・イメージの国(日本では黄泉津国)。智慧の神トト(日本では大国主)が支配する。つまり「日没する国」=中近東(シナイ半島)のことか?

 

ちょっと話はそれますが、ここでアラブ人について説明しておく必要があります。

アラブ人とは「アラビア語」を使い「アラーの神」を信仰する人たち(イスラム教徒)のことで、遊牧民なので中近東全体に広く分布しており、もともと砂漠に国境はありませんでした。

ここから「アラブはひとつ」という思想が生まれました。

つまりエジプト人もサウジ人もイラク人もひとつの民族なのです。

アラーの神とは、太陽神ラーと同一であり、だからいまでも日の出と正午と日没(を含めた日に5回)には必ずお祈りが行われます。

彼らが豚肉と飲酒と浮気を極度に嫌っているのは、弥生人たちが肉食をしなかったことと似ています。

つまり古代エジプト人の末裔たちと考えてもよいと思います。

 


問題は、エジプトと日本、どちらが先に登場したのか?ですが、他のいろいろな説を総合すると、下記の仮説が生まれます。

 

◆まず古代エジプト人がナイル川流域に降臨して、ピラミッド文明を残す。
◆この一族(天孫族)が、東遷して日本国を建国する(BC660年頃)。ここから弥生時代が始まる。
 ◆それまで日本国に居たヤソマガツ(縄文人)たちが追い出されて、中近東に逃げ延びユダヤ人となる。
◆ユダヤ人たちは、再び祖国・日本を目指す。(シオニズム)

 

もしこの仮説が正しいとすると、

「弥生人とエジプト人は同祖」であり「縄文人とユダヤ人は同祖」である、ということになります。

 

なんだか、これが一番スッキリする説明のように思えるのですが、テーマが大きすぎて充分に論破できません。
引き続き証拠を収集して、確固たる説に仕上げたいと思いますので、情報をお持ちの方はコメント欄からお寄せください。

 

ちょっとだけ次回を予告しておきますと、古代エジプト人たちが信仰していた「オリオン座」。

それが日本にも残っているかどうかがポイントとなります。