山彦の履歴書

実在した日本人の御祖

『古事記』『日本書紀』では、ほとんど語られることがなかった山彦という人物像。
『ウエツフミ』には詳細な記録が残されています。
今回は、そこに何が書かれていたのかを、早足で再現してみます。

 

正式名称

天邇岐志国邇岐志天津日高日子火火出見の命
あめにぎしくににぎしあまつひたかひこほほでみのみこと
(別名: ホヲリ、 通称: 山彦、または山幸彦)

 

家族構成

父:  ニニギの命
母:  コノハナサクヤ姫
兄:  海彦(ホスセリ、天照国押日子背持の命)
異母弟:  ウマシマチベ(母はイワナガ姫)
妻:  豊玉姫
子供:  (初代)ウガヤフキアエズの命、その他3人が正室・豊玉姫の子。側室の子を合わせて合計7人(5彦+2姫)。

 

即位した経緯

◆本来は兄のホスセリが即位すべきだが、人望が無く“天皇の器量ではない”と自ら判断して辞退した。
◆兄弟で弓と釣り針を交換する逸話は、「海彦・山彦の物語」として有名。
◆ただし、記紀が伝えるような兄弟の確執は存在しなかった。
そのなかで語られている「潮満玉、潮干玉で兄を溺れさせた」という故事は、兄に対する攻撃ではなく、反乱人・ヨスセリに対する鎮圧である。
つまり、隼人の祖先は兄のホスセリではなく、ヨスセリという赤の他人であり、のちに隼人の子孫たちがこの部分を加筆修正して、自分たちと皇族をつなげた。
すなわち、隼人はウガヤフキアエズ王朝を滅亡させた外国人勢力に加担して、政権に入り込んだ。
詳細は、こちら

 

主な活動実績

◆妻・豊玉姫の父親・オオワタツミが奉納した潮満玉、潮干玉を、第三の「三種の神器」にして即位した。
それまでは、ヤタの鏡と天のムラクモの剣の「2種の神器」だった。


◆豊受彦と豊受姫(2人を総称してウカノミタマ=お稲荷様)とその14人の子供たちを、農業指導の神々に任命する。


◆全国に市場を興し、一升、一斗、一斛など、ものを計るときの単位(度量衡)を定める。


◆長老たちの役割を明確にし、椎、楢、柿、榧、栗などのおかゆを食べるよう推奨する。


◆四足のケモノや虫を撲滅するよう命ずる。


◆武術の指南役を任命する。

当時この武術は「物部の術」と呼ばれ、その指南役となった人物が物部氏のルーツである。


◆全国を巡幸する。具体的に訪れた地名は下記のとおり。
熊本の阿蘇、壱岐、対馬、隠岐、佐渡(ここでほら貝を発明)


◆距離を測る単位を定める(一股、一町、一村、一里)


◆国と国とのあいだの境界を定める。

例えば、大分と宮崎の境は、高千穂の二上山の西(祖母山の西麓)


◆国廻りの乗り物であった「鶴」が、羽を痛めて休んだところを「臥し山」と呼んだ。これがなまって「フジヤマ=富士山」となった。


◆四神に外国を視察させ、食物を給う。詳しくは、こちら


◆思金鳴眞弓の命が、天皇皇后両陛下の「新嘗祭」のときの様子を、色絵で描いて大絶賛される。

これが日本画の起源か?


◆第二回目は東国巡幸で、下記のルート。
二上の大宮⇒直入の宮⇒宇佐から船で出航⇒日木根の国(和歌山)⇒秋津根の国(奈良)の宇陀山で神楽(ここで住吉神が降臨)⇒狭依科の国(信濃、ここで豊玉姫らも合流)⇒陸奥の国の雄勝山(ここで出羽の豪族の争いを解決)⇒奥津の国の塩山(群馬県?で、山塩を製造する方法を伝える)⇒狭依科の国(信濃)に戻り山塩を伝える。⇒津軽の国⇒胆沢の国⇒越の国のイユで温泉治療⇒丹波の小野山で扇を作る⇒出雲のシカアの国のサナベ山で、人民に蜀台の作り方を教える。⇒彦山の宮(日田英彦山)⇒大野が原のエの宮(豊後大野市)で神楽⇒高千穂の大宮


◆全国から臼杵や大分に荷前(税金ではなく奉納に近い穀物)が殺到し、受け取るかどうかを協議。フトマニで占うと「来年からは献上するな」と出たので、人民たちは喜んで帰国する。


◆初代ウガヤフキアエズ即位


◆その後逝去したので、「高千穂の高日山の西の米良」に葬られる。
現在の大分市の高崎山の西にある米良のあたりか?   

 

結 論

さてさて、早足で見てきましたが、以上のように『ウエツフミ』には、山彦に関する膨大な記述が残されています。

逆にいえば、『古事記』『日本書紀』は、この中から下記の3つの故事だけをクローズアップして伝えていることになります。
◆兄弟で弓と釣り針を交換する逸話
◆竜宮城で山彦と豊玉姫が出会うシーン
◆豊玉姫が初代ウガヤフキアエズを出産する場面

これは何を意味しているのでしょうか?

そうです、記紀の作者の意図は明確で、あえて言葉にするならば
「昔むかし、山彦という伝説の神様が居たが、あくまでも民間伝承にすぎず、その実在性を証明する記録は残っていない」
ということではないでしょうか?

この明確な編集方針は、山彦のみならず、父のニニギの命、さらに息子のウガヤフキアエズの命にも共通しています。

つまり『日向三代』とは、実在していなかった幻の王朝である!・・・・という姿勢を明確に打ち出して、さらにウガヤフキアエズ74代の天皇の記録もことごとく削除してしまったということです。

なぜならば、この『日向三代』こそ、真実の日本人のご先祖様にあたるからに他なりません。

つまり、記紀の作者にとって日本人とは「存在してはならないやっかいな民族」であったのかも知れません。

 

このことが理解できれば、日本人の祖先である本当の皇室を滅ぼして、ここに「背乗り」しているのは、一体何者なのか?

さらには、中国や韓国が「歴史認識」に執拗にこだわっているのはなぜなのか?

これらの不可解な謎への回答も、自ずから見えてくるはずです。

 

そして、日本人がこのことに気付いたとき、新たな時代が幕を開けることは、先哲たちが伝えているとおりです。

 

コメントをお書きください

コメント: 4
  • #1

    マレーの虎 (火曜日, 11 10月 2016 13:45)

    私は、1988年から1989年の約2年間、西オーストラリアに留学して
    いました。ここで西洋人と東洋人が本質的に違う民族であることを体験しました。

    西洋はアトランティスを起源に持つ文明で、日本や東洋には、ムーやレムリアを
    その起源としており、本質的に異質だと確信しました。

    最近の日本会議の戦前回帰運動、日ユ同祖論の蔓延、聖徳太子の歴史からの抹殺
    等、今、世界はアトランティス一色に染められつつある。

    ムーの遺伝子を持つ日本人が本質的に目覚めなければ、地球文明そのものが、
    崩壊する可能性が高まります。

    なぜなら、神は多様性を必要とするからです。多様性が失われた文明は、確実に
    崩壊します。

  • #2

    マコト道 (土曜日, 22 10月 2016 00:27)

    秀真伝では、クニサツチの子であるトヨクンヌ(本家)の子孫「ウチヒニ、スヒチ」に子供が出来ず途絶えたとある。その為分家であるハコクニ(ヒタカミ国)の子の「タマキネ」(豊受大神)が、自分の子であるイザナミ(イサコ)と、同じく分家であるアワナギ(根国)の子の「イザナギ」(タカヒト)を呼び寄せている。
    ヒタカミ国に神々の集まる安国宮(アマノミヤを移した物)を拵えている。筑波に於いて生まれたヒルコは流され和歌国でワカ姫となり「オモイカネ」と夫婦となる。生まれたアマテラスは安国宮と宮津(籠神社)で教育され育てられている。ツクヨミは筑紫に渡っている。スサノオが乱暴なのは自分のせいだとイザナミは言い、後に「隈の神」となっている。
    大国主は、国譲りに於いてスサノオの血統(妻側)を持っている子供に聞けと言っている。
    詰まり、流入して来る系統以前に、日本は陰陽に基づく世界が確立していた事を意味している。各地方が親戚であった。滅ぼす必要がなかった。

  • #3

    マコト道 (土曜日, 22 10月 2016 00:58)

    神道の土台にあるのは陰陽!

    メソポタミア文明を筆頭とした文明の土台となったシュメール人は、アヌンナキ、混ぜ合わされた者、葦の主の地から来たと言っている。シュメール人の宗教であるミトラ教の本質は「陰陽」である。ミトラ教はローマの方まで影響を与えている。
    葦原の中国とは、神々が集まるアマノミヤがある場所を指している。約4300年前、鬼界カルデラは大爆発を起こしている。縄文人は移動している。エクアドル、バヌアツでも縄文土器は見つかっている。太陽の国旗は太平洋環帯に広がっている。

    太古の日本人の概念では、ミコト「言、心、事(行)」が一緒の概念だった。「インデアン嘘つかない」は有名な台詞だが、この域まで精神を高めるのは「途轍もない努力」が要る。反面教師の半島を見ても分かる通り、多くはここまで高まらない。現在の世界でさえ、真を軸にしてるのは日本が最高峰だと言える。ただ随分と汚染されて来たが…。

    現在でも、神社本庁を中心とした「神社の背乗り」は画策されている。マコト、ミコトでない精神が出戻って暗躍してる様だ。ユダヤから始まってる様にしたい動きでもあるのだろうか…。

  • #4

    マコト道 (土曜日, 22 10月 2016 01:06)

    もう既に、背乗りされた神社は実在する。真偽の軸で別れて活動している。困ったものだ。偽の軸とは、新しく流入した流れだ。太古神はレッテルを貼られて「隅の神」化している。