大分県佐伯市に残る神武天皇の足跡

大分県佐伯市には、神武天皇の「海軍」に関する足跡が多く残されています。
今回、訪問したのは佐伯市の沖合にある「大入(おおにゅう)島」の東北の端です。

 

ここは、なぜか「日向泊浦」と呼ばれ、
パワースポットの集中する北緯33度線上にあります。

 

神武天皇自ら掘ったという伝説の「神の井」が海岸近くに残っており、
現在でも真水が湧いています。
戦時中は多くの海軍大将もこの地を訪れているのです。

 

⇒ちなみに、なぜ神武天皇が井戸を掘る技術を持っていたのでしょうか?

その経緯が『ウエツフミ』には克明に記されています。

即位直後に磐舟山に降臨したニギハヤから直接伝授されたその技術とは、「立坑の上でたき火をして、呼び水を行う」という、具体的で理にかなったものでした。詳しくは、こちら

 

そもそも、神武東征の出発地点について、通説では宮崎県の「美々津」だとして、ここにかつては「日本海軍発祥之地」の石碑も建てられていました。
ところが、記紀にはこの場所を特定する記述は無いのです。

 

逆に、『ウエツフミ』には、神武天皇の海軍が本拠地としていた場所が、はっきりと書かれています。
それは、「豊日の速吸門にあるワタの浦」だったのです。

 

『日本書紀』では、これに「曲浦」という漢字を充てたため場所不明となってしまいましたが、

実は「畑野浦」が正解であり、

現在この地には【江武戸神社】(えぶとじんじゃ)が鎮座しています。

(佐伯市内から南に約10Km)
http://kazenoyadori.seesaa.net/article/389939850.html

 

『ウエツフミ』によると、このワタノウラには
◆数千人の鍛冶屋が集まって、鍬、鍬、フクシなどの鉄製農機具が製造された
◆また「百斛船(ももつかぶね)」が多く建造され、ここに繋がれた
とあり、分かりやすくいえば、神武天皇の海軍工廠が置かれていたのです。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=36&sno=15

 

⇒ここにある「百斛船」ですが、これもニギハヤヒから伝授された「百手船(ももてふね)」と同じものだと思われます。詳しくは、こちら

大分県の大野川流域を本拠地としていた神武天皇が、なぜ宮崎県の美々津まで下って、ここから出航する必要があったのでしょうか?

 

その答えは、「畑野浦から出港したヒダカサヌ」と、「美々津から出港した謎の人物」とは別人である!ということになります。

この別人とは、一体誰なのでしょうか?


それは、宮崎県の北部に渡来した「百済王伝説」が、ヒントとなります。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch-lit/hyuga.htm

 

つまり、ヒダカサヌは、宮崎県に渡来した百済人と、和歌山県に渡来した新羅人の連合軍と戦ったのであり、これがのちに『神武東征』と呼ばれることになります。

 


その続き・・・・後日、Facebookに投稿した記事より

なんじゃ、こりゃ?

神武天皇が掘った井戸から出てきた謎の石


大分県佐伯市の大入島には、神武天皇が掘ったという伝説の井戸が残っています。
http://www.sankei.com/west/news/150407/wst1504070002-n1.html

 

そこを訪れたとき、ふと目に付いたのがこの石です。


そのあたりのジャリの中に混ざっていた、ごくフツーの石ですが、なぜか「中」という文字がペンキのようなもので描かれています。

 

そこで、ネットで検索してみると、トンデモないことが判明しました。


まず、神武天皇が井戸を掘るために使った道具が「弓」だったという事です。

「天皇親(みずか)ラ浜辺ニ下リ立チ 御弓ヲ以テ 巌ヲ穿(うが)チ給ヒシニ 忽(たちま)チ清水湧出シ 之ヲ飲料ニ取ラセ給フ…」

 

もしかしたら、これは「矢」の間違いではないでしょうか?
あのグニャグニャと弾力のある「弓」で、岩を掘るのはあまりにも無謀なこと。
硬い「矢じり」で掘ったなら、十分に納得できます。

 

しかもですよ!
ここに書かれている「中」という文字。
これは「漢字」ではなく「豊国文字」だとしたら、なんと「矢」と読めるのです。


豊国文字は象形文字なので、矢に付いている羽根のカタチをそのまま文字にして、「ヤ」と読ませました。
これが、中国に渡ったとき「(矢が)中(あた)る」ことから、「チュン」と呼ばれるようになりました。

つまり、この矢じり状の石に、木製の取っ手を付けた「石斧」のような道具で井戸を掘ったのではないでしょうか!

 

それとも、単なる誰かのイタズラなのでしょうか?
それにしては「犯行動機」が不明です。

つまり、この犯人は「単なる石ころに、ペンキで中と書いて、井戸のそばに転がしておいた」ことになります。何のために、そんなややこしいことを?

それよりも、「もともとご神体として祠の中に納められていた石が転げ出した」と解釈したほうが自然です。

 

石の成分も、もしかしたら「隕鉄」なのかもしれませんが、私にはそこまでの分析ノウハウがありません。
何か、判別方法は無いものでしょうか?

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1084328371654770&set=a.168236939930589.45082.100002328521266&type=3&theater

 

それにしても、その石を、たまたま通りかかった私が拾うというのは、何という偶然なのでしょうか?

まさに、神様に招かれているとしか思えません。

 

 

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コメント: 4
  • #1

    siraki (火曜日, 09 8月 2016 09:01)

    百済軍の主力は、築慈に上陸して新羅軍を大破して破竹の勢いで
    進撃してきた。百済の水軍は、それまで陸地につながっていた
    關門海峡に運河を作って水軍を移動させて大分に上陸して
    新羅軍を追い出していた。

    瞬く間に今の熊本地域が陥落されて
    新羅軍は散らばってい混乱の状態であった。

    戰線は熊本から鹿児島と新羅の最後の砦の宮岐につながる道が最前線となった
    状況は凄絶た当時百済軍の電撃戦に新羅軍は武機も不足した投石戰が横行した

    新羅の辰旦王は火を放きと命令した。
    巨大な山火にすべてが燃えた。
    火産靈の伝説は、そのように始まった。

    鹿児島と大分に散開していた新羅軍は撤退と集結を命じられた。

    百済王伝説が何であるかはまだ分からないでしょうか?
    これは、新羅の王の物語です。

    まだ分からないでしょうか?
    神武天皇というのは、新羅の王子,天日槍を言うのです。

    阿和斯盧源!新羅王萬世!

  • #2

    日向小次郎 (火曜日, 09 8月 2016 21:10)

    今の韓国人が勘違いしているのは自分の祖先がずっと朝鮮半島にいたと
    思い込んでいるところですね。そこがそもそも間違いです。
    13世紀に北方から半島に背乗りしたエベンキ族が韓国人の祖先でDNAも文化風習も一致しています。
    百済王は中東から東に移民してきたコーカソイドのDNAを持つ民族が作った
    "日本にいくまでの途中の国"であり先輩に当たる大和朝廷の手助けで奈良に王族ごと移りました。
    始皇帝の親族も青眼持ちが多いのも黄河文明の時点で遺跡からコーカソイドの遺体が
    発掘されています。DNAの流れを追っていくと何が嘘で何が真実かはわかってきますね。

  • #3

    出雲小社 (火曜日, 16 8月 2016 16:01)

    siraki氏対日向小次郎 の討論のようになってきました。siraki氏は相変わらず朝鮮一番ばかりですね。偏りが甚だしいのでご退場を願っていたのですが、しばらく鳴りを潜めていただけで再登場とは嘆かわしい。日向氏は説得力がある論でいいですね。とにかく当時の朝鮮半島は中国もあまり手を付けたくないあまり環境の良くない地であったことが事実らしいですね。中国に居ずらくなったりなどの理由で住んだともいわれる有様をどう解釈されるのだろうか。倭人の王も居たともいわれています。siraki氏には許せないことだろうな?ご自分のブログにて持論を展開されることを切に願います。

  • #4

    古代子孫 (火曜日, 16 8月 2016 16:16)

    siraki氏は相変わらずですね。いわゆる近所迷惑ですね。日本人もよく分からないけれど、朝鮮人もよく分からない。それぞれ(漢人も)いろいろな所から伝説を引っ張ってきて自分のものとしているようです。必ず共通点があるのでお調べください。朝鮮、中国あたりのを日本も相当パクっているという論もあるようです。ヨーロッパのをパクっているという人もいます。日本、朝鮮、中国だけでは視野が狭いといえます。上記も何から、題材は何か、これが聖典?といえるのかどうかは分からないところです。ただ、上記の内容から得る古代の歴史ストーリーは大変興味あるものです。世界史という範囲でsiraki氏は考えるべきです。こういうと、世界は朝鮮から始まったと言われるかもしれません。上記もそういっていますから、さてそれぞれがどう歴史を論ずるかは興味あるところです。確か当時は大陸と日本列島という今流の国境線はなかったと思われます。どのあたりまでが朝鮮といったのか、倭国といったのかも興味のあるところです。管理者氏のさらなる研究成果を楽しみにしています。