宇佐神宮に封印された神々!

「まるで監獄か、鉄格子か!」
それが、宇佐神宮を訪れたときの私の第一印象である。

 

まず本殿の配置図を、目を凝らしてよく見ていただきたい。
あたかも、これらの神々が牢屋に入れられているような配置ではないか?

 

鉄格子のような窮屈な閉鎖空間。
小さな窓を通して、こっそりと拝む姿勢は、まるで「受刑者との面会」。

 

この牢屋に入れられているのは、「三韓征伐」を行ったオールキャストであり、
そして、これらの神々を封印したのは、いうまでもなく「三韓征伐」の最大の被害者、秦氏一族であろう。

 

またまた何を言い出したのか・・・?と、お思いの方も多いかもしれないが、私の仮説にはそれなりの根拠がある。

私の仮説を裏付ける証拠

(1)なぜ、拍手が4回なのか?
四は死につながる、日本では不吉な数字。

 

(2)なぜ、ご神体がマコモの枕なのか?
マコモの枕は、高貴な人の葬儀に使われる「死に装束」である。
それがご神体になっているということは、「神が死んだ」あるいは「死んで欲しい」という意味か?

 

(3)拝む方角が真北
何も考えずに拝んでいる人も多いが、その方角は重要である。
本殿の奥、真北の方角には海しかない。
さらにその先にあるのは朝鮮半島である。
なぜ、日本人が朝鮮半島に向かって頭を下げる必要があるのか?

 

(4)御許山を背にして拝むという不敬
本宮とされる御許山にケツを向けるという、大変失礼な姿勢を強要されていることに、お気づきだろうか?
しかもまた、振り向いて小窓から遥拝するという、まるで「拝んで欲しく無い」という扱い。

 

(5)本宮と下宮が、至近距離に配置された不自然さ
「帰りに下宮も拝んでください・・・未完に終わるので」みたいな看板があるが、なぜ同じ神を2回も拝む必要があるのか?
すなわち、下宮に配置されている3神とは、本殿とは別の神様であり、あちら側の神様ではないのか?
つまり下宮こそ本物の新羅出身の八幡神か?

 

(6)天照大神が「養蚕神社」に祀られる不自然さ
なぜ脇社に、しかも弟のスサノオと一緒に、天照大神が祀られているのか?
「養蚕神社」という位置づけに、日本人ならば憤慨を覚えるハズである。
養蚕が得意だった秦氏の信仰する別の神様と、習合させられているのではないか?

 

(7)受刑者を監視しているのは「北辰神社」
これが天御中主とされているが、残念ながら日本人には「北極星信仰」は無い。
それを重視するのは中国人、あるいは秦氏のみである。

 



その他、諸々の不自然極まりない不吉な神社。


つまり、日本人はすっかり騙されているのである。
崇拝しているような体裁を取りながら、実は封印する結果となっていることに・・・・。

 

これで、大分県出身のヒーロー、緒方三郎や大友宗麟が、宇佐神宮を焼き討ちにしたという理由も、明確になってきたようだ。


そして、その因縁は現在も続いている・・・・

 


宇佐神宮

〒872-0102

大分県宇佐市大字南宇佐2859

TEL:0978-37-0001

FAX:0978-37-2748

【公式ホームページ】

http://www.usajinguu.com


境内の主な社殿(宇佐神宮ホームページより転載)

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コメント: 2
  • #1

    古代史於 (火曜日, 19 4月 2016 11:22)

    上記とウガヤ王朝の実在をテーマとされているこのブログでは、あくまでその記録からの読み解き、解釈、想像などからの管理者のコメントととらえるべきでしょうか。古史古伝の中の上記が中心ですね。一説には、焚書で古史古伝の類は建前上は伝えられていないわけですので、実際は隠されていたりはされていたように伝わってはいたようないないような。例の白村江で敗れた後、九州の王朝(日本を一応代表していた?)が唐に占領され(事実かどうか日本史では隠されてしまったか?)てしまったようです。神代文字もなかったことにされたり、と漢字を押し付けられたとされる(征服されたのだから)。実際唐側の朝廷ができたのでしょう。政権にとってまずい歴史は中国でも、日本でも書き換えられているらしいですね。去年あたりも漢の祖からはじまる中国4000年の歴史が実は5000年それより前からともいわれる発掘がされています。今の中国政権はもみ消したい遺跡らしいです。神武の正体などこちらでは大変興味深いコメントが多く大変興味あるブログです。方や朝鮮語から分かる日本の古代、朝鮮の歴史から分かる日本の古代をブログされている方も多いです。当時は割と自由な交流があり、力関係でどちらにでも国を置けたようにも聞きます。それも縄文時代と言われる頃には俗にいわれていた「毛皮のパンツを穿いて走り回っていた原始人」は部分的にはあったでしょうが、最近の国内の発掘では建築などでは相当に技術水準の高いものが出てきています。文化的水準の高い国があったようです。文字も当然あったようです。それが上記などに伝わるものかも知れないですね。sirakiさんのコメントもいいですね。管理者はコメントを返されていないようですが、やはりsirakiさんの解釈の出典がはっきりしないとできないのでしょうか?国内の出典からなどにはコメントされていたようですね。

  • #2

    赤星憲一 (木曜日, 21 4月 2016 07:48)

    私は全く古代史の素人ですが、「うえつふみ」という「浪漫」に酔い浸っているものです。
    笑い話で、小学生が「古事記」のことを「乞食」と混同するくらいの程度のものです。
    パワハラで会社を辞め引きこもりのとき、はじめて「冬のソナタ」を見て、それからギャオで韓流ドラマを見て感動しました。
     特に古代の「鉄の王」や「ソヨンド」に興味が沸きました。
    私の友人の薩摩の親分(ニックネーム)は、極端に韓国人や中国人を毛嫌いしていますが、  ユーチューブに「遺伝子配列では、日本人は朝鮮・中国・縄文人の混血なので、互敬・互恵し、仲よくしよう。」と投稿しました。
     さて、「ソヨンド」では、新羅の芋ほりと百済の王女が結ばれ、朝鮮半島を統一しています。これと同じように、「真名の長者物語」では、九州大分三重町の若者(祖母山ウガヤ王朝子孫)と奈良の曽我氏(大和三輪大社信仰)の姫が結ばれています。
     このような民話が残っているのも、各地の富と権力を持った古代帝国が、戦わずに婚姻・混血という富と権力の共有・再分配の仕組みにより新国家を作ったのだと思います。
     私は、天河原は、朝鮮半島であり、黄泉の国は西南諸島だと思います。
    よって、半島の豪族(王族)が日本に帰化して、日本人を統治したのだろうと想像します。