スサノオからアマテラスへの国譲り。ニニギの命が天孫降臨した理由が明らかに!

「ウエツフミ」では、ニニギの命が天孫降臨する直前に、日本国が大混乱していた様子を伝えています。

まず、おおまかに解説しますと、

◆オオクニヌシやその子孫たちが日本国を開拓していましたが、

◆各地に「まつろわぬ勢力」が残っており、大変な戦闘が続いていました。

◆そこに、出雲国を大飢饉が襲います。(人々が肉食していた罰とある)

◆ついに、スサノオは決断し、天照大神にこう伝えます。

「私の子孫が日本国の開拓をほぼ終えましたが、どうやら統治するには向いていないようです。だから今度は、お姉さんの子孫を降臨させてください」

◆そこで、いろんな神が次々と降臨しますが、うまくいきません。

◆しかし、フツヌシとタケミカヅチ(トヨフツ)が大活躍し、ほとんどの勢力を服従させることに成功しました。

◆オオクニヌシも、政権を天上界に返上して(国譲り)、自分は出雲大社に祀られることに同意。ニニギの命の天孫降臨の地を探すなど全面協力します。

◆そして、最後に地上界を治めるためにやってきたのが、天照大神の孫・ニニギの命なのです。


以上の経緯がものすごく詳しく書かれているのですが、分かりにくいので「勢力分布図」にしてみました。

大急ぎで作ったので、私の勘違いもあるかと思いますが、おおよそこんな感じです。

それでは次に、それぞれの逸話を詳細に見てゆきましょう。

多分、記紀とは異なる意外な事実が見つかるはずです。

(なお、M17-11という記号は、ウエツフミ宗像本第17綴第11章のことであり、原典の場所を示す。)


タケミナカタの降臨~房総半島への初陣

アジスキタカヒコネとコトシロヌシが協力して出雲国を治めていたころ、天上界からもう一人の強力な助っ人を呼ぶことにしました。それがタケミナカタでした。


タケミナカタが降臨すると、さっそく「力試し」が行われましたが、このときに丹波の国の江崎から投げた大岩が、日本海に落ちて島となります。これが「竹島」だったのです。


タケミナカタが力持ちだと分かったので、武蔵の国で悪事を働いていた、ヨタマ白熊、キタケ白熊の兄弟を退治させることにします。

モイウケ岳(安房の痔大明神?)で、この兄弟は滅ぼされ、粉々になります。

M7-11



新潟で十二悪神を平定

その頃、越の国(新潟~石川~福井)には、十二悪神(親2人+子10人)が、イマド岳やクマト岳に陣取って悪事を働いていました。

出雲軍は総力で出陣し、この悪神たちを武蔵国の新納山に追い詰め、最後は南方の外国に追い払います。


ちなみに、このときに出陣した神様の名前から、誰がオオクニヌシの勢力だったのかが分かりますので、下記にリストアップしておきます。

阿遅鋤高日子根の命(別名 : 一言主)・・・・政策担当の重鎮

積羽八重言代主の命(別名 : 言代主)・・・・政策担当の重鎮

山代日子の命・・・・弓矢の指南役

若経津主の命・・・・馬術と流鏑馬の指南役(フツヌシではない)

八尋矛長依日子の命・・・・剣、太刀、矛、大鉈、長鉈の八十術の指南役で大鷲を退治

国津木之俣の命

国津三井の命

建御名方の命・・・・天上界から呼ばれた助っ人

薦枕白主の命

天之活玉の命

天之三降の命


さらに、この後の記述から、タケミナカタだけが信濃の国に残ったことが分かります。

M7-14

 


スクナヒコの外征

ここで突然、スクナヒコは兄のオオクニヌシに「この国には多くの神々がいて、ほぼ国づくりを終えました。私はこれから外国の島々の開拓に向かいます」といい、粟の穂を弾いて、その実を船にして、外国に飛び去ってしまいました。だからここを粟島(淡路島?)といいます。

M7-16



幸魂・奇魂神の来臨

「まだ70%くらいしか国造りは終っていないのに、私一人でどうしよう・・・・」と、8日8晩オオクニヌシが嘆き悲しんでいると、海の沖から二人の神様がやってきます。


一人は、銀の冠に全身白ずくめの衣装をまとい、もう一人は金の冠にオレンジ色の衣装をまとっており、「私たちは、あなたの幸魂・奇魂である。斎き祀れば協力しよう」といいました。


ここで、禅問答のような会話が交わされるのですが、多分、幸魂(サキタマ)は未来の自分、奇魂(クシタマ)は過去の自分のことであり、「時空を越えて現在の自分を助けに来たのだ」と、オオクニヌシはただちに理解します。

※原文では「まよまく こよこく みよみく」であり、私の解釈では「真世(現在)が求めれば、去世(過去)が来る、未世(未来)が見る」という意味になる。


さらに、禅問答は続き、

幸魂・奇魂「一般人とは、どうする人たちか?」

オオクニヌシ「一般人が悲しむのは、心が穏やかでないからだ。罵るのは、真心と一致していないからだ。」

幸魂・奇魂「天上界の神は、内心を包み隠さないから、一般人は従うのである」


ここでオオクニヌシは「あう」と声を上げて悟り、「あなたがたは奈良の青垣の東の山に鎮座してください。私は杵築の宮に居りましょう」と、宣言します。


※なお、一部の神道では、大国主が東征してきて「大物主」になったと伝えていますが、実は上述のとおり、分身が降臨して三輪山に鎮座したということです。

M7-17



肉食の許可と大飢饉の到来

アジスキタカヒコネの陣屋に国中の翁たちがやってきて、こう訴えます。

「農耕の助けとする牛馬ですが、老いて死んだときは、その革を敷物にし、肉は穀物を補うための食料とさせて下さい。」(多分この頃、食糧難になっていたようです)

そこで、父のオオクニヌシも了承します。


ところが、大年の神が激怒します。

「スメラガミコ※の統治する国なのに、朝夕の奉げ物が穢れておる。神々へ奉納する穀物を耕作する農民に、穢れた肉を食わすとは何事か!」

「今後は穀物を一粒も与えんぞ!」と、カンカンになって草木を蹴飛ばすと、それがイナゴの大群となって田畑を襲い、農作物をことごとく食い荒らしてしまいました。


※ここでは、「天津御子」や「天孫」と同じ意味で、「スメラが皇子」という表現が使われています。つまり「スメラ」とは天上界に居る神々のことであり、「スメラ族」という特定の民族が地上界に居た訳ではありません。この点、ユダヤ系神道による「刷り込み」が行われていますので要注意!


※以前にも書きましたが、縄文人と弥生人の大きな違いは「肉食するかどうか?」にあります。弥生人は4つ足を穢れた動物として忌み嫌っていました。詳しくは、こちら


そこでオオクニヌシが驚いて、フトマニで占わせると大年の神の意志であることが判明しました。

M7-18

ただちにオオクニヌシは「贖罪の儀礼」を始めます。その様子がものすごく詳しく書かれており、当時の神事の様子が分かりますので、ぜひ原文を参照してください。

M7-19


※また、毎年行われる「豊作祈願」は、この事件がもとになっており、「太い男根」を田んぼのなかに立てるという風習も、実はイナゴ避けのおまじないであり、ここから始まっています。



猿田彦神の誕生---加賀

ここで、加賀の国に、猿田彦神(別名:大土之御祖、佐太の大神、大土の命)が誕生した経緯が語られています。

父は、大年の神の御子・ククキワカムロツナネ(葛根の命)、母はサキガイ姫(封貝比売)でした。

父が自分の子供ではないと疑ったので、母が川で禊をすると、上流から無くしたご神宝の弓矢が流れ着きました。


生後、わずか200日の猿田彦が、まず流れてきた角の弓矢を「自分のものではない」といい、次に流れてきた金の弓矢を「これだ!」と言い当てます。

さらに、「母上、心配しないでください。ここは暗い巌だ」と洞窟を射通したので、明るく光り輝きました。だからここを加賀というと書かれています。

M8-1


※なお、猿田彦はのちに天孫降臨の道案内をすることで有名ですが、ウエツフミでは、ニニギの命の重臣として、妻のアメノウズメとともに、どこにゆくにも同行していたことが書かれています。逆に記紀では「アメノウズメが淫乱なポーズで誘惑した」「猿田彦はヒラフ貝に挟まれて溺れ死んだ」などという縁起でもない逸話も挿入されており、記紀を書いたと思われる藤原氏や物部氏にとっては、ありがたく無い存在だったようです。つまり民間信仰の「道祖神」として根強い人気があったので、「マイナス・イメージ攻撃」が行われたようです。

※またウエツフミの別の章では、猿田彦が「伊勢の五十鈴川に降臨した」という矛盾する記述もあり、依然として謎の多い神様です。



スサノオから天照大神への政権交代

ここで、記紀が無視した重要な記述が登場します。


スサノオは、天昇りして、天照大神にこう告げます。

「日本国は、私の子孫が治めるべき国ではありません。すでに私の子孫たちが国固めを終えましたので、今度はお姉さんの子孫が次々に降臨して統治してください。そうすれば私は大神山に鎮座しましょう。」

すると、高御産巣日と神産巣日は、ともに拍手をして「なんと清く、めでたく、畏れ多い決断か」と褒め称え、八百万の神々を集めて、これを宣告します。

M8-2



オシホミミは見ただけで引き返す

そこでまずオシホミミ(天照大神の御子)が降臨しますが、天の浮橋に立ってみると地上界はまだ騒然としていましたので、「なんと醜い国か」と言い残して帰ってしまいます。

仕方なく八百万の神々は集まって、また「誰が良いだろうか?」と、相談します。

M8-3



アメノホヒ、タケミクマヌ、アメワカヒコの降臨

オモイカネが「アメノホヒは優れて強い神様なので、彼がよいだろう」というと、みんなも賛同します。

そこでアメノホヒは多くのお供を連れて降臨し、あちこちを走り回って荒ぶる神を相手に善戦しますが、3年たっても音沙汰がないので、今度はその御子のタケミクマヌがあとを追いかけます。

M8-4


高御産巣日が、このニ神に「何か良い方策はあるか?」と聞くと、「アマツクニタマを遣わしてください」というので、さっそく本人にそう告げると、

アマツクニタマは「私は長いこと足を患っておりますので、私の子供のアメワカヒコ、まだ10歳ですが、を遣わせましょう」といいます。

ところが、このアメノワカヒコ、こともあろうかオオクニヌシの娘の下照姫に手を出してしまい、いくさもせずに、8年間も報告がありませんでした。

M8-5



アメワカヒコへの天罰と葬儀

そこで、天上界からキジを使いを出すことにしましたが、このキジが門の樹に止まって鳴くと、アメワカヒコは神様からもらった弓矢で、これを射抜いてしまいます。

その矢が反転して天上界に届くと、これを見た高御産巣日が「許せん」と投げ返したので、ちょうど昼寝していたアメワカヒコの胸を貫きました。

M8-6


夫の死をまえに下照姫が泣く声を聞いて、父のアマツクニタマは深く反省して、自分の手足の爪と歯を抜いて霊前に奉げ、葬儀を行いました。

M8-7


この葬儀に、オオクニヌシの御子のアジスキタカヒコネが参列しますが、そのお顔が亡くなったアメワカヒコにうりふたつだったので、親戚が勘違いして泣いてすがりつきます。

するとアジスキタカヒコネは激怒して、十握の剣を抜いて、その葬屋を切り裂いて蹴飛ばしたので、これがアワミのヤク山(場所不明)となりました。

M8-8



フツヌシの再派遣

高御産巣日は神々を召集して、「日本に遣わす神は、誰がよいだろうか?」と相談すると、オモイカネ、アメノコヤネ、フトダマの三神が揃って「フツヌシ(経津主)」を推薦しました。

※フツヌシは、スサノオが降臨したときお伴していますので、その意味で2度目の降臨となります。

※また神武東征のときに、神武天皇に布都御魂(ふつのみたま)という剣を授けたことでも有名です。


そこでさっそくフツヌシが降臨して、オオクニヌシに「この国をどうするつもりか?」と訪ねると、M8-9

「私の祖先のスサノオからこう言われております。おまえは国固めの使命を忠実に終らせたので、今後は天照大神の子孫たちに引継ぎを行ったあと、自分は隠居してその守り神となり、また人民の死後の世界の魂を管理しなさい。(不届きな霊を戒めるという、まるで閻魔様を連想させる役目※)その言葉に従うつもりです。」

※この記述が、平田篤胤の「幽冥界主宰神説」の基礎となっていると思われる。


さらに、「私の子孫たちは多いが、逆らう者はいないでしょう」と全員を招集しますが、

コトシロヌシは三津(愛媛県の三津浜)に魚釣りに出かけており、タケミナカタは越の国にて善戦中だったので、この二人だけは出席しませんでした。

このあとの記述から、二人が抵抗したことを連想せさます。

M8-10



コトシロヌシの入水

その頃、コトシロヌシは小船を浮かべて三津浜で海釣りをしていましたが、使いがやってきて「なぜ私が来たか、お分かりですね?」と聞くので、ちょっと赤面してこう答えます。

「私は父のオオクニヌシに逆らうつもりはありません。こんな汚いところに天孫がやってきたことが恥ずかしいのです。私の心意気をお見せしましょう」と、そのまま海に飛び込んでしまいました。

天上界では、天鳥船命※からこのことを聞くと大変驚いて、息呼ぶせ(蘇生)の神を派遣したので、コトシロヌシは生き返りました。

M8-11


※天鳥船命は、古事記ではフツヌシの代わりに降臨したとされるが、ここではフツヌシの使いとして天昇っている。(後述)


ここに、オオクニヌシは一族を率いて天昇りし、天上界では「国譲りの完了」が宣言されました。

M8-13



ニニギが天孫降臨の候補に

そこで、再びオシホミミに降臨が命じられますが、

「私が衣装を整えている間に、子供が生まれました。名前をニニギといいます。この子を降臨させましょう」と、また逃げてしまいます。

そこで、めでたくニニギの命が天孫降臨する運びとなります。

M8-14


※なお、ニニギの母親は、玉依豊栄姫ですが、記紀はこれを萬幡豊秋津師比売(よろづはたとよあきつしひめ)=玉依豊栄姫の母親=ニニギの祖母であるとしています。つまり玉依豊栄姫が抹消されている訳です。このほか、神武天皇の妻イスケヨリ姫も抹消されており、どうしても日向王朝の存在を認めたくなかったようです。

※ここでオオクニヌシが自分の祀られる社の規模にこだわったなどという逸話も伝わっていますが、ウエツフミではそれを決めたのは高御産巣日の計らいであり、全くのデマです。



越の国での、タケミカヅチによるタケミナカタの平定

さてさて、越の国では、まだタケミナカタが陣取って騒然としていましたので、天上界ではタケミカヅチ(別名トヨフツでありフツヌシではないので注意)を遣わすことにします。

M8-17


タケミカヅチは、ユマの河原に降臨し、ここに十握剣を刺して、その上にあぐらを組んで座り、いくさ太鼓を打たせます。


するとタケミナカタは、大岩を持ち上げて「こっそりやってきて太平を乱すのは誰だ、名を名乗れ。いざ力比べだ!」と叫んで、その大岩を投げつけると、タケミカヅチが跳ね返したので、蛸島という島になりました。


二人ががっぷりと四つに組んで倒れ込んだとき、タケミナカタは首を捻挫してしまい「あなたは、どこから来た神か?」と、あらためて尋ねると、「私は天津大神の使いのタケミカヅチだ」と名乗ったので、「私を殺すな、伝えたいことがある」といいます。

※これが相撲の起源とされている故事です。


「私はオオクニヌシの御子ですが、越の白岳の大野に大谷熊という悪神が暴れています。父の命令で戦っていましたが、あなたが来たのでもう安心です。決して汚い心ではないので許してください」


するとタケミカヅチは「よし分かった。私は天上界に報告する」と、常陸の国の香島山(鹿島神宮のある場所)の頂上に登り、身に着けていた黒金の鎧を洞穴に隠して、天昇りしました。

M8-18



富士山のカカシツツノオの平定

タケミカヅチが全国を平定しているとき、遠津海の国(のちの遠江国)の富士山に、カカシツツノオノカミ(香香背星之男の長)というまつろわぬ星の守が占拠していましたので、タケハヅチ(建葉槌)とシトリオ(倭文男=倭文神)を遣わして、説得させました。

M8-19


※文字通り約せば「カカシ星人の隊長」という意味になり、宇宙人を連想させますが、他の悪神とは明らかに異なり「説得」だけで終っているので、もしかしたら事実?


※竹内神道では、富士山に古代文明があったことを強調していますので、この「カカシ星人」たちを「天鳥船命」と解釈して、重臣として降臨したことにし、天孫族の仲間入りをさせたのではないでしょうか?



タケミナカタの昇天

タケミナカタは、狭依科の国(信州)の諏訪山にやって来ると、水足の湖(諏訪湖)で、太く長い川魚を採って食事とし、神宣りを行い、持っていた八尋矛の矛先を白鷹鳥に変えて、天昇りしました。

M8-20



オオクニヌシの宮処探し

ここに、高御産巣日は、オオクニヌシを再降臨させ、ニニギが天孫降臨する際の宮処の場所を探すように命じます。

そこで、部下の国之魂別の命が、「筑紫の日向の国の高千穂の櫛触の岳」を見つけてきます。


※この場所こそ、祖母山または久住山と思われますが、残念ながらウエツフミにも決定的な記述はありません。つまり大切な聖地なので、あいまいにしておくべきだと考えられたのでしょう。

なお、私の考察による

「祖母山説」は、こちら

「久住山説」は、こちら



まとめ

さてさて、以上の長い経緯を経て、スサノオの時代「出雲王朝」から、天照大神の時代「日向王朝」へと「国譲り」が行われたことはご理解いただけましたか?


ところが、記紀ではこの辺の経緯がほとんど省略されています。

というのも、記紀の主張は明白で「日向王朝=ウガヤフキアエズ王朝」は、存在しなかったと解釈しているからです。


時間にして約1000年、天皇の世代にすると74代にものぼる歴史を省略して、初代ウガヤフキアエズと神武天皇を直接つなげてしまったのであり、「出雲王朝」から「大和王朝」へと、政権交代が行われたと主張しているためです。


つまり、この1000年間の空白を埋めてくれるのは、「ウエツフミ」であり、あるいは「竹内文書」なのです。


そして、これは重要なことなのですが、この「ウエツフミ」に書かれた「日向王朝」の時代とは、そっくりそのまま「弥生時代」の歴史なのです。

なぜなら、「ウエツフミ」には、歴史的な記述以外にも、天文学、医学、農業、工鉱業、航海術などの膨大な「科学・文化史」が語られており、そこで展開されているのは、まさに弥生人たちの暮らしと生活の知恵そのものなのです。


つまり、この「国譲り」があったときから、縄文時代(スサノオの治世)が終り、弥生時代(天照大神の治世)が始まったのではないでしょうか?

そう考えると、ニニギの天孫降臨があった時期とは、弥生時代が始まった時期であり、紀元前660年の皇紀元年ともみごとに一致してきます。


即ち、ニニギの命とその子孫たちは、「弥生文化」を伝えるために、天上界から降臨してきたのです。


そして、そこから約1000年の歴史を経て、紀元1~2世紀に神武天皇の東征、即ち日向族の大和地方への遷都が行われたのです。




コメント: 1 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    縄文人 (火曜日, 08 12月 2015 13:49)

    嘘だらけの日本史は大嫌いです。特に西日本で書かれたものは侵略戦争を正当化する為のものばかり。平和を愛する日本人を野蛮人と決め付け武器を持たない人たちをころしていった。ふざけるな。