消された神々の痕跡・・・「山の神」と祖母山信仰

祖母山の北側(大分県側)にある数々の神社をめぐってみて、あることに気づいた。
それは、「ご祭神が不明、または曖昧な神社」が、異常に多いのだ。

 

「穴森神社」といい、「健男社」といい、「山神社」といい、いったい誰が祀られているのか非常に分かりにくい。
特に、外部の人間にとっては・・・・・

 

結論から先に言おう。
地元の人たちが秘密にしているのだ。
なぜ?

 

ウガヤフキアエズ王朝の信仰の中心が、ここ祖母山にあることは明白だ。
しかし、それは同時に「抹消と弾圧の歴史」でもあった。

弾圧したのは大和朝廷であり、明治政府あるいは神社本庁であり、異教徒の人々であったという。

 

地元の人たちからすれば、ここに祭られている本当のご祭神を争ったところで、何のメリットも無い。
それを公表したところで、自分たちの大切な神様が、荒らされて穢されるだけだからだ。

だから、「秘密」にして自分たちだけで信仰したのでは無いだろうか?
つまり「沈黙」と「隠れ信仰」という方法を選んだ。

 

以下は、それぞれの神社の表向きのご祭神と本当のご祭神の比較である。
(私の勝手な推測なので間違いならばご指摘下さい)

 


山神社・・・・・大分県佐伯市宇目木浦鉱山

◆表向き

木浦鉱山の中心地にある鉱山の神様であるという。

ご祭神はどこにも書かれていない。

地元のお婆さんに聞いてみても、それは「山の神」だという。

「山の神」とはいったい誰なのか?

 

◆本当のご祭神

その答えは神社の社(やしろ)にあった。

さや堂で覆われた立派な社を注意深く見てみると、そこに明らかなヒントが隠されていた。

 

ご神体の左右に古い肖像画が掛けられているのだ。

誰の絵かは定かではないが、右側の人物には「下がり藤」の家紋が一緒に飾られている。

とすれば、この人物は「ウガヤ王朝の右大臣であったアメノコヤネこと中臣氏=藤原氏」であろう。

 

ならば、左側の人物は「左大臣」に違いない!と思ってよくみると、やはりそうだった。

左側の肖像画の人物は手に剣が握られているのである。

つまり、「戦を司る役職だったフトダマこと物部氏」であることが分かる。

 

・・・とすれば、中心に鎮座するのは「ニニギの命」または「ウガヤフキアエズの命」または「トヨタマヒメ」であるに違いない。

そう解釈すれば、「ウエツフミ」の記述ともピタリと一致するのだ。

 

山の神伝説
祖母山のふもとの村々では、昭和初期ごろまで「山の神」のお札が、家の中に飾られていた。天皇皇后両陛下の写真と並んで、神棚の脇などに貼られていたのだ。そこに書かれた肖像画は女性像だったことが多く、これこそが消されかけた「豊玉姫」であろう。また地元では、女房のことを俗称で「山の神」と呼び、奥さんが荒れているときなどは「山ん神が怒っちょる!」と言ったものだ。

 


穴森神社・・・・・大分県竹田市神原地区

これほど分かりにくい神社は無いだろう。

 

◆表向き

神原(こうばる)地区にある立派なお社(遥拝所=里宮?)を訪ねてみると、ご祭神は健男霜凝日子であるという。 タケオシモコリヒコって、一体誰なのか?

申し訳ないが、祖母山信仰とは全く関係の無い神様が鎮座している。

 

しかも、昭和十三年頃、国幣社への昇格を申請したが、却下されたという。

ここに神社本庁の姿勢=本音が明確に露呈した。

つまり、ここの神様はどうやら歓迎されていないようなのである。

地元の人の証言によれば、「弾圧されるので仕方無しにこの神を表向きにした」という。

<遥拝所を紹介するサイト>

http://www.genbu.net/data/bungo/takeo2_title.htm

 

◆本当のご祭神

この神社には中宮(穴森神社)があって、そこには「洞窟に棲む大蛇」の伝説で有名な、 「祖母山大明神」が祀られている。 この大明神とは一体誰なのか?

<中宮を紹介するサイト>

http://motor.geocities.jp/nyuta_syougakou/anamori_jinnjya/anamori_jinnjya.html

 

その答えを見つけるには、さらに下宮を訪れる必要がある。

下宮は、立派な遥拝所から更に西へ約600m、誰もが見過ごしてしまいそうな道路の脇にささやかな入り口がある。

しかも、その入り口には「嫗嶽稲荷」という看板が立っているので、思わずお稲荷さんかと勘違いしてしまうのだ。 ところが、この看板の裏側もよく見て欲しい、別のご祭神の名前がある。なぜ裏側に?

 

長く急な石段を登っていくと、さらにビックリである。

ここには切り立った崖と、その中腹に大きな洞窟があって、その洞窟にすっぽりと覆われた立派なお社があるのだ。

しかも石造りの鳥居には藤原氏(もと右大臣)のご子孫の名前が刻まれている。

 

ここに祀られている本当のご祭神こそ、消されかけた「豊玉姫」であり、その子孫の「五瀬命:いつせのみこと」(ウガヤ王朝末期の英雄)であり、当然王朝の創始者である「ウガヤフキアエズの命」なのだ。

 

非常にややこしいので、もう一度整理すると、この神社は

上宮=祖母山頂」

中宮=穴森神社」

下宮=本当の本宮だが、お稲荷様と表示」

遥拝所=一番立派だが、実は見せかけの本宮」

の4つの社があり、それぞれ全く違う神様が祀られているように演出されている。

 

だが、この4つの社をすべて繋げると浮き上がってくるもの、

それこそが、消された「ウガヤフキアエズの神々」なのである。

それもこれも、世間からの弾圧を逃れて、本当のご神体をお守りするための地元の人たちの知恵なのかもしれない。

 

<下宮を紹介するサイト>

http://www.genbu.net/data/bungo/takeo_title.htm

<半田康夫氏談話>

「この豊玉姫命や五瀬命などが日向の場合のように主神となるべきが脇神となっているのは、皇統系譜につらなる神でないと、祭神にならぬという、当時の世風潮であったので後で付け加えたものでないか。」

http://takachiho88.net/guide/gokasho/sobo/sobo2.html

 <竹田高校同窓会誌に寄稿した私の原稿>

「祖母山とウガヤフキアエズ王朝」

http://jpromotion.jp/gagyu48.pdf

 

飛鳥時代の白雉二年に建立されたという下宮の社殿
飛鳥時代の白雉二年に建立されたという下宮の社殿

健男社・・・・・ 大分県豊後大野市緒方町上畑地区

ここも偽装に満ちた謎の神社である。

緒方町上畑の小さな集落のなか、ものすごい急階段を上り詰めた山の中腹に、ひっそりとたたずむ。

 

◆表向き

ご祭神は健男霜凝日子であり、山の北側の「穴森神社」と同じ神社のようだ。

 

◆本当のご祭神

拝殿は真っ直ぐに祖母山の峰に向かっており、社の右側の目立たない場所に「手水鉢」が置かれている。

この手水鉢には、「半魚人の格好をした未確認生物」が彫刻されているのである。

このことは、前にも書いたので、こちらをぜひ参照して欲しい。


これこそ、この山に降臨したのは誰か?を示す暗号であろう。

要するに、「分かる人にだけ、分かるように」配慮されているのだ。

ウガヤフキアエズの神々を探すなら、この「手水鉢」は必見である!

 

<この神社を紹介するサイト>

http://www.coara.or.jp/~shuya/saburou/kenkyushitu/goshinboku-to-saburo/koganoki.htm


もみじ祭り・・・・・大分県豊後大野市緒方町尾平鉱山

祖母山頂の祠
祖母山頂の祠

尾平鉱山では、紅葉のシーズンになると「もみじ祭り」と呼ばれるお祭りが開かれる。

祖母山の北側の大分県人と、南側の宮崎県人(高千穂側)の両方の人たちが、仲良く一同に会して盛大なお祝いをするのだ。

ただし、何をお祝いするのかは公表されていないし、地元の人さえ知らないという。

モミジをお祝いする?そうではないことは明白だ。

 

これこそ、祖母山信仰を山の両側から支えた両県人の団結式と親睦会であろう。

もっとハッキリ言えば「ウガヤフキアエズ王朝」ファンクラブの集いなのである。

 

明治時代には「ウガヤ」の「ウ」の字を唱えただけで、「不敬罪」で弾圧されたという。

ただし現在は、この本当の意味もあいまいになって、単なるレジャーだと思っている人が多い。

 

ひとつ気になる伝承がある。

昔は、祖母山の頂上にある祠(ほこら)をめぐって、南側の宮崎県人と、北側の大分県人とが、激しく争ったというのだ。

一方が祠を建てれば他方がこれを打ち壊し、他方が新たに建てればいつのまにか谷に投げ捨てられた・・・・・という。

 

だが、上記のように山の両側の人々は仲が良いのである。

それどころか、祖先を同じくすることを認識しているのだ。

 

私の勝手な推測だが、第三者が意図的に、この争いを演出した可能性が高い。

(神社を壊すなどというバチ当たりをする人間は地元には居ない!)

では、いったい誰が?・・・・・そこまで詮索するのはやめておこう。

これもひとつの「抹消と弾圧の歴史」である。


宇曽嶽神社・・・・・大分市野津原町大字入蔵1749番地

こちらは中御殿で、この上にさらに奥御殿がある。
こちらは中御殿で、この上にさらに奥御殿がある。

大分市内の野津原地区の南側に、広大な平野を望むように「障子岳」という山があり、その脇峰として「宇曽岳」がある。

 

ウエツフミには、「大分(おおきた)の宮を望む御宝山(みたから山)に神を祀る社を建てた。」という記述があるので、私はその痕跡を探した。

 

一般的には「御宝山」とは、現在の「霊山(りょうぜん)」のことであろうとされているが、そこにはお寺がひとつあるだけで、何も無い。

 

その霊山の西隣、障子岳に連なる宇曽岳に「宇曽嶽(うぞうだけ)神社」があった。

ものすごい険しい山の頂上約700mの地点に、ひっそとり隠れるように、神秘的なパワーを放つ神社が建立されているのである。

もしかしたらここは、山全体が人工的なピラミッドなのかもしれない。

 

ここに、ウガヤフキアエズ王朝の痕跡は残っていないか?と探したところ、やはり出てきた。

 

◆表向き

神社の由来記を読むと、そのご祭神は下記の四柱である。

カグツチの神

ヤマトタケルの命

日向国宇土大明神絵像並びに香取祖師

鞍馬山多門天張山坊

 

◆本当のご祭神

ここにある日向国宇土大明神こそ、初代・ウガヤフキアエズの命なのである。

他の神たちは、申し訳ないが、ご本神を偽装するためのダミーであろう。

 

しかし、なぜわざわざ「日向国」と前置きしているのか?

まるで、「ここ大分の神様ではないのですが・・・」と、言い訳けしているようである。

 

しかも、なぜわざわざ「絵像」と断っているのか?

まるで、「ご神体ではないのでここに安置しても問題ないですよねえ?」と、謝っているようである。

 

さらに、わざわざ「香取祖師」と併記することにより、

「本当はこちらはメインではないので・・・」と、注目されることを避けているようだ。

 

これこそ、「抹消と弾圧の歴史」から逃れてきた痕跡である。

 

もし、私の推測が正しいとすれば、こここそが、宇佐神宮がもともとあった場所だ。

「ウサ」と「ウソ」の語源は同じかもしれない。さらに「ウト」も何か関係がありそうだが、現在調査中。


さらに、この山の中腹にはニニギの命のお墓があるハズである。

(ニニギの墳墓は「荏隈の山岳の横腹」にあると書かれている)

当時は、まだ古墳文化が始まる前のことなので、高貴な人の亡骸は洞窟などの横穴に埋葬されていた。

 興味のある人は、ぜひ探して欲しい!

「ウエツフミ」には、ゴージャスな副葬品や埋葬したときの衣装などが詳しく書かれているからである。

 

<この神社を紹介するサイト>

http://oitamt.nyanko.org/nearmt-20090307-uzoyama.html

https://www.facebook.com/note.php?note_id=298716436905036

 

『ウガヤ王朝歴代天皇の御陵は、大分市の霊山に集中していた。』


宇曽嶽(うぞうだけ)神社
宇曽嶽神社から望む野津原平野・・・ここがウガヤ王朝の首都だった。遠景は由布岳、鶴見岳。
コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    一井史惠 (木曜日, 07 8月 2014 16:40)

    偶然開けました。実は、大分の一宮、西寒多神社の西寒多大神様のことですが、
    誠に、天照皇大神さまなのでしょうか……?
    この時に古くから、祀られていた女神さまでは無いだろうか……と、
    思いまして、何か御存知でしたら、お教え下さいませ。
    よろしくお願い致します。 一井史惠

  • #2

    mamanomama (火曜日, 21 10月 2014 18:25)

    間違いありません。
    ここに間違いないです。