住吉神の正しいご由緒

住吉さんとは一体誰なのでしょうか?

なぜ藤原氏は、この神様を熱心に信仰していたのでしょうか?

 

結論から先に書きますと、「皇室を支える宇宙人が存在していた」としか思えないのです。

それは、私の霊感とかチャネリングとか、そういう問題ではなく、『ウエツフミ』にそう書いてあるのです。

少々長くなりますが、順番に説明してゆきましょう。

 


ウエツフミの記述(現代語訳)

住吉踊 (クリックすると動画を再生)
住吉踊 (クリックすると動画を再生)

山彦ことホホデミ天皇が、全国を巡幸したときのことです。

 

秋津根の国(奈良)の国司・秋津笠穂の命が、和歌山に船で到着した山彦を出迎えて、宇陀山で歓迎の酒宴を開催します。

 

このときに、天皇皇后両陛下(山彦と豊玉姫)の御前の広庭で、老人や子供たちが踊る「お神楽」が奉納されました。

⇒この老人と子供たちの踊りこそ、現在まで伝わる「住吉踊」の原型ではないでしょうか?

 

ここに、年齢300歳あまりの老人が三人、「我も神楽せん」と、若人のように清らかな歓声をあげ、持っていた貴玉をヒモで扇に結んだものをかざしながら、こう歌い始めます。

 

【ウエツフミ原文】

とウとウ 足らり たらり

千々ヤ 足らり たらり

十四ヤ 十四ヤ と足らり たらり

百千萬代ヤ と足らり たらり

現人(うつど)足らりヤ 

種津(たなつ)足らりヤ

御代栄(みよさか)足らり たらりら

【現代語訳】  (筆者の勝手な意訳)

とうとう 満ち足りたぞ ここに足りた

父が 顕われた 顕われた

豊玉姫が 顕われた 顕われた

百年千年万年の栄華が実現する

民衆も大満足 

穀物も大豊作

天皇の御世は栄えて ここに成就される


 

このように歌って歓ぶ様子がいかにも「雅び」であったので、

ホホデミ天皇が「どこの翁じゃ?」とお尋ねになると、

「吾は 統めらぎ世を斎く 住吉(すみのゑ)の翁」であると名乗り

紫色の雲に乗って飛び去ります。

 

だからここを、住吉神が歌った場所にちなんで「宇陀(うた)」といいます。

【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=16&sno=16

 


住吉三神とは?

これが、奈良の宇陀山に至顕した「住吉三神」のお姿なのですが、ウエツフミでは「すみのゑの翁」と言っています。

 

しかも自分たちの役目を「天皇の御世を斎く(スピリチュアル的にお守りする)」と表現しています。

 

そもそもこの「住吉三神」とは、イザナギとイザナミが、ヨモツ国から帰ってきたあと、「筑紫日向の橘の小門の阿波岐原」で禊(みそぎ)をしたときに生まれた神様なのですが、ウエツフミには、記紀よりもさらに詳しい記述があります。

 

◆底筒之男の命

上津瀬の水底に祓イたまウ時に

成りませる神の御名ハ

天帯国帯潮津清美底土産巣霊の命

またの御名ハ

底筒之男の命、妹底津比女の命

これの二柱の神ハ 天に在して 底筒御祖の神と申す

 

◆中筒之男の命

中津瀬の中に祓イたまウ時に

成りませる神の御名ハ

天帯国帯潮津清美赤土産巣日の命

またの御名ハ

中筒之男の命、妹赤巣比売の命

これの二柱の神ハ 天に在して 赤筒御祖の神と申す

 

◆上筒之男の命

下津瀬の水の上に 祓イたまウ時に

成りませる神の御名ハ

天帯国帯潮津清美石土産巣日命

またの御名ハ

上筒之男の命、妹石巣比売の命

これの二柱の神ハ 天に在して 石筒御祖の神と申す

 

【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=2&sno=1&lnox=75

 


それが宇宙人であるという根拠

ここに、大変重要な記述があるのです!!

これまで誰も気付かなかった核心の部分とは・・・・?

 

「底筒之男の命、妹・底津比女の命 これの二柱の神ハ 天に在して底筒御祖の神と申す

つまり現代語訳すると

「底筒之男の命とその妻は、天上界にあっては 底星の御祖の神である

と言っているのです。

 

記紀では、「つつ」という言葉に「筒」という漢字を充てたため意味不明となってしまいましたが、ウエツフミでは「つつ」とは「星」のことであり、「底星の祖先の神様である」つまり「底星人である」と訳すべきなのです。

 

つまり、住吉三神とは「底星人」「赤星人」「岩星人」だということです。

 

それでは、これらの星たちは、一体どこにあるのでしょうか?

具体的に、どこの天体のことを指しているのでしょうか?

 

それを解明するには、ウエツフミの別の記述を読む必要があります。

 

底星御祖の神 こハ底筒之男 底筒之女の命

赤星御祖の神 こハ中筒之男 中筒之女の命

岩星御祖の神 こハ上筒之男 石姫の命

これの三星の神ハ

月の神に添イて 現わます

故 月の毎(は)に原(もと)なす

【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=30&sno=7&lnox=6

 

この記述から、

◆月の神=月読命に寄り添うように現われる星である

◆だから、毎月の月初めにはもとの位置に戻る

◆しかも真ん中の星は赤い色をした「赤星」で、上の星は岩で出来ている「岩星」である

と言っています。

 

ここから推測するに

◆オリオン座の三連星のことか?(真ん中が赤くない?)

◆おおいぬ座のシリウス星のことか?(他の2つの星が不明?)

◆レチクル座のひし形星座のことか?(赤い星が見当たらない?)

◆プレアデス星団のことか?(赤い星が見当たらない?)

 

などが考えられますが、天体の基本知識の無い私が解読できたのは、ここまでです。

どなたか星座に詳しい方は、ぜひ情報をお寄せください。

 

そもそも月の運行と動きを同じにするというのであれば、地球の惑星であることになりますが、まだ未発見の小惑星が、3つも地球の周りを周回しているというのでしょうか?

 

それとも、これは単なる比喩で、大切なのは「月読命をお守りする勢力である」というメッセージなのでしょうか?

もしそうならば、前回の私の推論がますます信憑性を帯びてきます。

つまり、「宇佐神宮に祀られているのは月読命である」という仮説です。

なぜならば、宇佐神宮には脇殿として「住吉神社」が本殿の右側に配置されているからです。

詳しくは、こちら

 


私の推測、憶測、妄想

その後、「住吉大社」の公式サイトを見ていて、ハッと気がついたのですが、

私がいろいろと推論した星座のうち「レチクル座」である可能性が高くなってきました。

なぜなら、「住吉大社」のご神紋が「花菱」だったからです。

 

このひし形は、レチクル座の星座の形をそのまま表現しているのではないかと・・・・?

もしそうだとすれば、下記のサイトにもあるとおり「人類とゼータレチクル星人との関係」についても納得できます。

【ゼータレチクル星人とは?】

 

しかもですよ、ひし形をした花びらなんてものは、自然界には存在しませんよねえ?

 

さらに、さらに、宇佐神宮に「ひし形池」とか、「ひし形山」なるものも存在しています。

つまり、「ひし形」がキーワードであり、そこに何らかのメッセージが込められているということです。

 

宇佐神宮の社殿配置 (クリックすると拡大)
宇佐神宮の社殿配置 (クリックすると拡大)

ということは、「北辰神社」がプレアデス星人ということになるのでしょうか?

なぜなら「北辰」とは北斗七星のことではなく、九州では「ななつ星」と呼ばれたスバル(プレアデス星団)を意味するからです。

 

ならば、「春日神社」は、一体誰なのか?

なんだか大混乱して収拾がつかなくなってきましたので、この辺でやめておきます。

 

以上は、あくまでも霊感も信仰心も無い私が、文献解釈から勝手に推測したものですから、どなたか補完をお願い致します。

宇宙人の情報に詳しい方は、下記の「コメント欄」から自由に書き込んでください。

コメントをお書きください

コメント: 9
  • #1

    siraki (水曜日, 31 8月 2016 21:03)

    元々朝鮮と言う(のは) 国名ではなく 官名です。

    朝鮮と言う(のは) 天王の権力を委任受けて地方を治める
    官名です。すなわち地方、地域国家 名ではなく言わば
    大将軍 みたいなのです。

    筒之男と言う(のは) 朝鮮王と言う(のは)表現です。
    朝鮮、土佐、土踟蛛、蹴支、曽尸

    普通は 佐和気柴報 具那朝鮮
    こんな式の尊称が使われます。

    これの意味は新羅 三神で

    底筒之男の命、底朝鮮王(天之御中主神)
    中筒之男の命、中朝鮮王(高御産巣日神)
    上筒之男の命、上朝鮮王(神産巣日神)

    春日の 神と言う(のは) 児野朝鮮を言います。
    百済の王子 墨江之中津王

    住吉(すみのゑ)の翁は 金閼支を言います。
    強調: 普通 住吉の 神と言ったら 新羅 三神 の中でも 金閼智を言います。

    中筒之男の命(高御産巣日神)です。
    住吉踊というのは 金閼支を象徴するのです

    補足
    http://blog.goo.ne.jp/yufunogi/e/7adeb57bb6f6fc747fe7b75c0a9de7c8

  • #2

    siraki (木曜日, 01 9月 2016 10:59)

    ps 私が並べた 住吉祭神の羅列方式に過ちがあることもできます。
    墨江之中津王と 名を作ったことはまさしく理由があるでしょう。
    すなわち一般的な羅列方式に従っては
    中筒之男の命、中朝鮮王(天之御中主神)の可能性があります。

  • #3

    ひふみ (金曜日, 02 9月 2016 18:54)

    この翁の神楽。
    どうやら、お能の形で現代まで残っているようですね。
    「とうとうたらり」で検索すると出てきました。おもしろいですね。
    私は、最後の所を”三四斛”と読んで”三四さかの稲”という風に解釈してみます。
    (稲一斛が、十斗で、百八十リットルだそうです。)
    稲が多く採れた時を祝って謡ったのか、
    大きな声で飲んで歌って笑い合っている様が想像出来ます。
    現代のお能では、皆静かに観ていらっしゃるので
    当時の人々が見たら滑稽でしょうね。

  • #4

    出雲小社 (木曜日, 08 9月 2016 18:14)

    「元々朝鮮と言う(のは) 国名ではなく 官名です」とかかれていますが、Wikiでは違うことが書かれていました。さて、どうなのでしょうか?存じよりのお方でかまいませんので教えてください。

  • #5

    国立大学教員 (日曜日, 11 9月 2016 18:21)

    「朝鮮」の由来 ウィキペディアより

    この地名はすでに紀元前4世紀頃から有った事が確認され、『史記』や『管子』に「朝鮮」という地名に関する記述がある。その由来について、史記の注釈書『史記集解』の朝鮮列傳に呼応した部位には張晏(中国語版)の説で「朝鮮には湿水、洌水、汕水が有り、3つの川は洌水として合わさる。恐らくここから楽浪朝鮮の名前を取ったと思う。」とあり、朝鮮王朝(李氏朝鮮)の官選地理書『東国輿地勝覧』によると中国人が朝光鮮麗の地と呼んだためといわれ、さらに、東方(=朝)の鮮卑に由来すると言う説もあり、結論が出ていない。

    13世紀に成立した朝鮮の史書『三国遺事』には、伝説的な人物である檀君が国を建てる際に「朝鮮」と号したという話があるが、三韓時代の百済、新羅、高句麗、日本の史書、中国の史書にはこのような記載はなく、後漢時代にはこの伝説は生まれていなかったと見られている。
    という解説がありました。これは出雲小社氏もいわんとしたことでしょう。歴史の専門家がご覧のはずがsiraki氏がらみだと無言ですね。ここはいいたいことだけ主張する場のようですね。個人のブログだからしょうがないですか。管理者さんもsiraki 氏以外にはお答えはしていますね。討論会ではないので仕方がないですね。「上記」と着目は良かったのですがコメント交換は残念な気がしました。楽しませてもらいありがとうございました。失礼しました。

  • #6

    日向小次郎 (日曜日, 18 9月 2016 05:36)

    ウエツフミは本当に詳しく記述されていますね、毎回御報告にドキドキしております。

    住吉大社はシュメ(ヨシ)の発音が隠されていますのでシュメール文明で絞ってみてはどうでしょうか?
    底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の「筒」はヘブライ語では「ツツ=星」ですので
    オリオン座の三つ星を表しているそうです。
    カタカナのベースにもなっているのがヘブライ語ですしシュメール遺跡から出る出土品も
    相撲(シュモー)をとっている像や土偶、土器など日本(縄文)文化と共通点が多いですね。
    縄文時代に火山活動のために一部がレイクラインを辿ってユーラシア大陸に避難した後に
    日本に戻ってこれたのも空からの視点を持つ神様のお導きでしょうか。
    神の国日本には神様に先導されたという言い伝えがどの地域でも豊富ですね。
    聖書でも神様は「東方からきた」と記述されています。
    日本の国歌である君が代の歌詞のヘブライ語翻訳が真実味を帯びてきますね。

  • #7

    siraki (水曜日, 12 10月 2016)

    君が代は韓国の歌です。

    その日百済の 大軍が襲撃に 来たという 伝令の急報が到逹して
    新羅の女王は急に 軍兵を集めました。

    百済軍は通常の道を選択しなくて 警報が鳴らさない大規模の不意打ちでした。
    新羅の女王は急に集めた 軍兵で 赤い 笠を着して 戦場で向けて

    新羅軍は赤い 笠の彼女で 百済の 大軍を向けて進みました。
    江 向こうにはきらめく 武具と甲冑と黄色と赤色の旗たちが 一杯でした。
    救援兵を要請する 伝令を送ったが 到着するまで何日は かかりますね

    その日の戦闘は 新羅の 完敗で終わりました。
    百済軍は新羅の女王を捕らえて平たい広い岩上で 首を切って持って行きました。
    百済軍が移動して捨てられた 首がない死体を真夜中に
    ご主人の百済王子 蘇我入鹿が収まって海に向けました。

    夜明けに脱出の 船が出発して海岸を脱する前に 錨で使う石を腰につげて
    海に 水葬しながら 最後のあいさつの歌をするようになります。

    私の愛する妻′ この美しい浜辺で 永遠に楽に眠りなさい。

    君が帯(だい)は 千代に八千代に
    さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで

    あれはや あれこそは 我君のみふねかや
    うつろうがせ身骸に命 千歳という

    花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾に
    くわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

    風速の韓国万歳!
    早韓 万歳!

  • #8

    日の本国民 (日曜日, 16 10月 2016 19:46)

    広開土王碑や宋書倭国伝を無視する朝鮮人は困ったものですね。

  • #9

    マコト道 (金曜日, 21 10月 2016 22:59)

    精神が駄目だと、全てが駄目ですね。朝鮮人の悪癖の土台には、朱子学がある。この朱子学の本質とは、タルムードだと言える。

    美辞麗句(言葉)を投下し、そこから理論展開→ そして騙した者を食う

    これは、朝日新聞や、カルトや、コメンテーターが良くやるテクニックの、土台ともなっている。